塩漬け物件

夏が来ました。
水分補給と一緒に塩の補給も大事です。外回りの後はきゅうりの塩漬けなんかいいかもしれませんね
ですが、作家の仕事の上で「塩漬け」というのはあんまりいいことを意味しません。
つまりそれは大抵「ある程度以上の作業がすすんだけど、お金にならず眠っている作品」という意味です。
また最近は電子書籍化されず放置されている作品を指差してそう呼ぶ場合もあるようです。
私にも幾つか塩漬け物件があります。
まずゲームのシナリオ。今の所三本あります。これは三本とも、会社が倒産してしまったので仕方がありませんが(※以下数百行削除)。
うち一本は絵まで仕上がりながら、だったので残念です(しかもテキストデータを消失)。
小説は現状、途中停止が四本、仕上がっていながら時機を逸して出版出来なかった作品が二本あります。
時機を逸した、というのは数年前の時代小説ブームの際、「今なら薩摩の琉球侵攻をネタに書いてもいいですよ」ということでその前後に思春期を迎えた元武田忍びを両親に持つ少年が青年に移りゆきつつ、戦乱に巻きこまれる、という連載をはじめたモノの、結局連載が終わる頃には雑誌が消滅。
作品は完結してたのですが、色々あって「やたら長い上に(500Pぐらいありました)未だに池永さんのテンペスト以外、大ヒットした作品もなく、しかもテンペストよりも古い、誰も知らないような時代を舞台にした作品はちょっと……」ということで棚上げになったものです。
もう一本は真っ向から薩摩の琉球侵攻を取り上げ、歴史上「愚行の人」「戦の原因」となった謝名親方は果たしてその通りの人だったのか? という作品でしたが、こちらもやはり同じ理由でダメでした。
それ以外に、書きかけ状態のものでいえば、以前ちらっとTwitterで取り上げた環望先生の「ダンス・イン・ザヴァンパイアバンド」と「あそびにいくヨ!」のコラボレート小説(現存するもので文庫本で350p分、更に100p必要なことが判明して中断、その後「ヴァンパイア~」が急展開して舞台設定そのものが使用出来なくなったので発表中止)。
ソノラマノベルスで出した「刃の王」の続編(冒頭10Pと外伝50P近く)、初の一人称小説になる予定だった「先輩女神(仮)」(※実験的に書きたい場面を先に書いて間を繋ぐという方式をとって全部で100P分が存在)などなど。

これ以外にも没になったプロットがおよそ百数十本はあります(中には何でこんなモノを提出しようと思ったのかというものもあるのですが)。

今ちょっと経済的にキツイ状態なので、そこを脱したらこれら塩漬け物件たちの塩を抜いてちゃんとした形で(自費による電子出版という形になるかもしれませんが)、世に送り出したいなあと思っております。

リラム~密偵の無輪者 が17日まで半額です!

神々と魔法が去り、宗教が意味をなさなくなった世界。
魔法のような技術と、神々でも溶けぬ経済仕組みは残った世界。
人々は全てを経済によって取り仕切り、「王」の呼び名が失われ「位主」に変わったことさえ、人々が忘れたころ。
かつて国を為した組織は経済集団と定義され「圏“エスティズ”」と呼ばれるようになっていた。
東にあるヒウモト圏の位主=将位主の継承第二位のレイロウ・トクゼは自らその権利を放棄したにもかかわらず、頭脳の冴えゆえに、現将位主である兄からは却って疑われ、暗殺を避けて南の果て、ロキオルス圏に亡命していた。
しかし、ロキオルス圏位主官の娘マリエイラを房中術でもてなしながら隠遁生活を過ごすレイロウの下には、いまだ兄の殺意が貿易商の形となって伸びてくる。ある日、レイロウはマリエイラから、圏が侵略の危機にさらされる前にと、ヒウモトとの外交補佐に紛れた諜報を依頼されるのだが―。

 

 

という内容で、「ライトノベルファンタジーにおける頑固煎餅(=歯ごたえがありすぎる)」と評判の(笑)「リラム」が現在17日まで以下の所で半額セールとなっております!

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アメリカの作家はやってるそうですが

アメリカの作家がやってて子供の頃「へー」と思ったのが「口述筆記」というやつです。海外の映画やテレビを見ているると70年代まではよく、会社の社長が社長室をうろうろと歩き回りながら

「よし、書き出しはこうだ、あー『親愛なるマディ』ちがった『やあマディ、お元気ですか』……これも違うな、『拝啓、インディグレイド夫人。今回はいつものように楽しいお話ではありません、あなたの夫の解雇について私は話さねばならないのです。あなたの夫には大変満足していますが、我が社は現在大不況の中、社員の削減を求められており』……君、ちゃんと打ってるかね?」
とか言いつつ、傍らで秘書がタイプライターをカシャカシャ打ってるあれです。
確かそれを小説でやっている作家がいると聞いたのは「トワイライトゾーン」の膨大な脚本をほぼ一人でこなしたロッド・サーリングだったと思います。
彼は朝テープで思いつくままに脚本をテープレコーダーに(当時のことですからオープンリールでしょう)録音し、秘書に預け、昨日秘書に渡して文字に起こしたモノを推敲し、数時間後に出来上がったものを自分で添削、翌日の推敲に廻し、ということを繰り返して、あの傑作群をものにしていったという話を本で読んで「それは格好いい」と思いました。
日本だと太宰治が電話で、あるいは寝床に伏せったまま口述筆記をさせたという話が残っていますが、さすがに文豪ともなると「あの文章がそのまま口から流れてきて書き留めたものはそのまま原稿になった」という話で。

幸い私が「作家になりたい」と思う頃には我が家にもテープレコーダーはありましたからこれ幸い、とやってみたんですが……私には秘書がおらず、結果として、「もっとも聞いていて違和感のある自分の声を聞きながら文章を起こす」という苦痛をせねばならないということで断念しました(しかも当時は手書き原稿でしたし)。
あと意外に話芸の訓練を受けていない素人というものは、当人は普段の会話で達者だと思っていても、創作の文章とナルトつらつらと流れるように作り話を流せないものなんですね。「あー」とか「えー」とかになってしまう。特に地の文にこれが多くなる。
これも聞いてて「下手くそ!」と自分で自分を罵り、上手く行かない原因でした。
あと自分で思うほど文章というモノが緊張して脳に浮かばないというのにも呆れて結局放り出しました。

ところが時代は巡ると「音声入力」はいまやスマホに搭載されて当然の機能となり、その精度も大分上がってきたようです。少なくともSiriなどはウィットに富んだ(時には富みすぎる)会話を出来ることは有名です。

で、最近行き詰まると万年筆でコクヨの原稿用紙に書いてみたりしてましたが、音声入力で書いてみるのはどうだろうと思って、行き詰まった時はやるようにしています。あと疲れ切った中、作品の要点整理のメモなどを作る時には重宝します。

もっとも音声入力と言っても当人の発音の仕方、及び特殊単語までは引き継いでないので、入力した後、手直しは必要ですが。

不思議なことに人間、喋る時のほうが書くときよりも頭が回転し、文章的にも多い分量を脳から出力できるようで、たった1時間で分量だけは4時間机に座ったのと同じ文字が口から出てきます。
そのままでは使えないのでやはり手直しが必要なのですが、それでも何度か改稿することを考えれば「第ゼロ稿」としては充分です。
文章書きにとって下書きにあたる「最初の原稿」が出来ることが大変ですから。
出来ればひと頃の志茂田景樹先生のように一日二日で一冊、と行きたい所ですが(志茂田先生は最も本を出してらした時期、当時出たばかりのMP3レコーダーだったかテープレコーダーで朝昼晩違う作品を吹き込み、それぞれ担当の秘書にテープから文章を起こして、それをチェックし書き直していたそうで)、まあそれはともかく。
上手い具合に万年筆と原稿、キーボード入力、そして音声入力を使い分け、停滞する時間をなるべく短縮することで生産性を上げていきたいなあと思っております。

電子書籍についての雑感

作家稼業というものをやっておりますと、昨今は印税の他に電子書籍の「売り上げ」というモノが入ってきます。
印税は出版社が「あらかじめこれだけ刷って販売するのであなたに前払いします」ということで原稿が出来上がって契約を結び、1万冊刷ったら1万冊の印税が著者には入り、実際には100しか売れなくても「返せ」とは言われません。

電子書籍からの収入は文字通りの「売り上げ」で、何冊売れたかを定期的にチェックし、その売り上げから私の取り分をまとめて支払う、ということになります。
大きな違いは出版社にとってのリスクと我々作家にとってのリスクの種類です。
出版社は「印税」で紙の本を印刷すれば大きく儲かります(といってもどんな本でも最低の採算ラインは2万部前後だそうですが)、また勝手に安売りされることがないように法律で保証された商品でもあります。
その代わり、本としての体裁を整えるための最低限の内容に指導とチェック(編集者と呼ばれる人たちがこれを行います)、校閲校正、版下の作成と印刷、流通へ支払う費用、売れなかったときのリスク(在庫を保管する場所の維持や送りかえされる時の流通費用など)は全て出版社の持ち出しで、それ故に作家の取り分は全体の10%に過ぎないか、あるいはそれ以下に設定されることが多々あります。
ただし、そのお陰で作家は印税というモノで最低限の収入を保証されるわけです。
売れなくなった本の作者は次の作品の部数を下げられていき、ある一定ラインを切ることが連続すれば(もしくは致命的に売れない、と営業が判断した場合)「もうあなたの本は出せません」となります。
商業出版の電書は基本それよりもやや高く作家の受け取る割合が設定されてはいますが、文字通り売れただけ。シビアな現実がお金になって跳ね返ってきます。
ですが、本屋に本を置くのには流通との契約、書店との契約と個人では難しいハードルが幾つもありますが、電子書籍にはそのハードルが低く設定されています。
電子書籍はそれだけで作る場合様々なソフトやアプリケーションが現在アリ、AmazonのKindleに至っては自動生成するシステムを無料で公開利用できるぐらいです。
ですから、最悪作家にその気があれば電子書籍を自分で出すことは可能で、その売り場はあちこちにあります。AmazonのKindleに至っては「うちで専売するなら定価の70%は著者に」と盟約するほどです(※ただし定価の下限あり)

ここで問題なのは多くの商業出版社が「紙の本」中心でシステムを運用し、電子書籍を敵視している、あるいは「オマケ程度のもの」という認識であることと、商業出版の場合「電書用の版下と印刷用の版下は現在同じシステムでは作れない」ことです。

単なるPDFなら問題ないのですが、電子書籍の様式(システム)は現在国内にKindleを含め、大きなものだけでも紀伊國屋、BOOK WALKER、BookLive、e-book japan、DMMブックス、Google play、honto、ibook store、Reder Store、ワニブックスのビューワー、ニコニコ静画等々も含めれば10種類以上あります。
それぞれのシステムに合わせて版下を作らねばなりません。
スマホで見るのかタブレットで見るのかPCでみるのか、それぞれの画面に対応することを迫られたりもします。
結果、現在は浮くはずだった流通費用と在庫保管(これが紙の本だと値段の3割を越え、在庫保管の費用と合わせると半分近くを占めることになります)の費用が浮かない……ということらしいです。
紙の本は本屋ごとに版下を変えたり判型を変えたりする必要はないですものね。
ですから「Kindle専売だと著者の取り分70%」というのはとんでもない飛び道具ではありますが、同時にそれが「飛び道具」になる素養は、この日本国内の電子書籍方式の統一性の無さに起因します。
さて、電書の印税ですが、最近よく苦笑いするのは、数年間で販売された冊数をトータルで計算すると、軽く紙の本の再版2、3回分になってたりする本もあったりすることです。
恐らくこれは「店頭になければ買えない」紙の本では逃してしまう売り上げです。
電子書籍の良い点は「どこにいようとクリックしてしまえば買える」ことにあります。
が、同時に殆どの出版社にとって今の所値段が上下する(紙の本ではないので保護対象ではない&Amazonの方針もアリ)電子書籍は現在(2018年)殆どの出版社において「本の売り上げ」としてカウントされません。
私の電子書籍の中には数年がかりではありますが、紙の本の再版分に匹敵する売り上げを出したモノもありますが、だからといって「又続きを」とはなりません。
現在はあくまでも紙の本の売り上げ(それもほとんどの漫画やライトノベルの場合は一週間の初動)がその作品の命運を決めてしまいます。

そして個人で電子書籍を出す場合、どうやって買ってくれる読者までその情報を届けるのか、という有効な手段が未だに見つかっていないという問題が解決されていないのです。

すでに個人書店が減り続け、反対にスマホやタブレットは増え続けているご時世です。
出版社、流通、本屋の関係とシステムが出来上がって100年以上経過しているそうですから、そろそろここいらで新しく「紙の本を売るやり方」を考え直すべき時にきてる気がします。
そろそろ「紙の本は初版のみだったけど電書で再版数回分売れた」という「本」も出てくるかもしれないので、収益の見方やシリーズの継続に関しても新たな基準が必要になると思うのです。

Twitterでも他の依頼原稿でも書いたことをまたここでも繰り返しますが、「本=紙の本&電子書籍=紙の本の敵」という考えを捨て去り、「電子書籍という新商品」に対する考えを変え、国内の電子書籍の基準を統一しないとマズイ時期に来てると思います。

個人的には紙の本自体が中身の周知宣伝のアイテムとして組み込まれて収益は電書で、みたいなビジネスモデルとか…あれ?何偉そうな事を私はいってるんでしょう?これは涙?

……てな冗談はともかく。

とりあえず自分の場合は「紙の本も電子書籍もどっちも売れて欲しいので、電書の発売時期を紙の本より遅くする制度は止めて欲しいなあ」と思います、ハイ。
※下の画像をクリックすると電書を含めた神野オキナの本の案内ページに飛びます。気に入った表紙をクリックするとさらに解説&販売ページに飛びますので、お買い上げよろしくお願いいたします。

色々作る時の思考

昨日は一オタクとしては「何でも楽しもう」という考えが幸せだし寛容である必要もある、とお話しをしました。
が、まあ矛盾するのが人間です。
自分がものを作る時は話が別になります。
観客モードから思考を切り替えて、己の声に素直に従って「あれはやるまい」とか精一杯自分の信じるモノを全部投入してやれることを全部やるのがベストです。
もちろん完全には行かないけど、その時、その瞬間、その場においてやれるだけはやる。
後悔するのはあとで「やらない後悔よりやった後悔」でいく。
西川伸司先生の漫画「日本特撮映画師列伝 」の中で、とある造形作家が寝不足と時間の無さに不本意な出来の怪獣の着ぐるみを納品して、その際ちょっと言い訳をしたら現場の偉い人に「視聴者には関係が無い、君はその言い訳を怪獣の背中にでも書くつもりか」と怒られるという挿話があります。
基本、物作りはそういうもので、お客の目に触れた時点で作者一人のものじゃなく、事情も観客には無関係です。
こういう話をしてると、なんか自分のクビを真綿で占めてきてる気もしますが(笑)で、色々なゲームや漫画制作の現場を取り仕切った経験のある知り合いの某氏に、
「締め切り守りつつ自分のクオリティを高め、あるいは維持するにはどうしたらよいのよ」と訊ねたら
「そりゃ簡単だ、多くの完成品をつくって世に送り出せばいい」
とあっさり言われました。
「完成品が多いほど普通、物作りは上手くなる。半完成品は夢の塊のママだからある程度まではいっても結局、当人が望むように上手くなることは絶対にない」
「じゃどうやって完成品を多く作る? とにかく適当に早く?」
「いいものを作るのは商売として当然。適当に作るんじゃない、手早く作って見直す」
「どうやって?」
「頭から最後までとにかく急いで、出来れば締め切りの半分の時間で一度完成させる。で、なるべく時間をおいて客観視する。そうしたら何処が足りないか、歪かが判る。あとは最低限の手直しでどこまでいけるかを考えて、手直しをする。締め切りギリギリまで」
「えーと、最低限の手直しって手抜きじゃ? 駄目なモノは全部作り直したほうがいいんじゃないの?」
「あのね、客観視した上での最低限の手直しってのは、手抜きじゃなく効率化の時間を取った上での最短距離。全部作り直しは気分はすっきりしてもドツボに入ると永遠に完成しない」
「…………でもさ、こう創作行為ってのは【天啓】というか【マジック】が試行錯誤の果てに最後の一瞬振ってくるもんじゃないの?」
「あー、それな。ただの錯覚。たまたまそれで上手くいった奴がそう言ってるだけ。第一即身成仏した偉い坊さんの周囲には山のようにしくじった連中の墓があるって話をしただろ? 仏陀以前&以後に同じ様に悟りを開こうとして歴史に残ってない連中がどれだけいるよ?」
「う……」
「第一、お前さんがそういう作家ならとっくにそうなってるだろ。なってない、ということおはそういう作家じゃないってことさ。その上でどうしていくかってことじゃないかね?」
「……はい」
「で、お前さんの仕事のやり方はどうよ?」
「うう……作っては矛盾に気付いた時点で戻ったり先にいったりしながら……やれるだけのことを全部ぶち込んでネタも……」
「今から20年ぐらい前に沖縄コミケの時に開田裕治&あや先生ご夫妻や唐沢俊一先生たちと一緒に来られてた睦月影郎先生になんて言われた?」
「【プロ(の作家)は手を抜くんじゃなくて力を抜くんだよ】って」
「それをオレ流に翻訳するとこーなる」
「……」
「お前さんは元々職人型の思考回路と創作方向なんだから天才のマネをしないほうがいいだろ? そっちの努力は間違った努力だと思うぞ?」
というわけで私は仕事のやり方を切り替えたわけですが。
その辺の事情はこちらの配信動画に。四回もあるんでお暇なときにでも。

レディ・プレイヤーワンとパシフィックリム・アップライジングを観てきました(※パシフィックリム・アップライジング編)

「パシフィックリム・アップライジング」は前作が東宝と円谷特撮映画&テレビシリーズへのオマージュだったとしたら、今回は良くも悪くも完全に東映とピープロのアニメ&特撮テレビシリーズで、同時にエヴァンゲリオンをアメリカが実写化したら戦闘場面はどうなるかという予行演習にも見えました。
(以下はネタバレになるので読む方は反転してください)

とりあえず、決戦の地は地理的状況を見ても第三新東京市です(笑)
第三お台場(仮称)に立ったまま動かないイェーガーが一機いましたが、次回作は何とかしてくれるでしょう(笑)
今回ある意味敵が出てくる理由とかは、いかにも東映っぽいですし、初っぱなに出てきて後半大活躍するのはどう見てもボスボロット(笑)。
ただ、一機だけグレートマジンガーなのかしらと思っていたら実はブラックオックスでした、というのは楽しいサプライズでした。
あとガーディアン・ブラボーのマツモト14号っぽいのはなんでだろうと思ったら……等など、色々入っておりました。
イェーガーたちの共闘は「マジンガーZ」原作版に出てくるマジンガー軍団そのままな雰囲気で、これはこれで楽しかったです。
前作にあった重いモノをスッパリ棄てて、ひたすら明るく楽しくくすぐりの部分も多く……「東京」の場面でとあるものがちらっと映ったり、前作のイェーガーの拳がインテリアに当たるユーモアの拡大版があったり。
決戦場への移動手段はGガンダム最終回でロボジョックスでしたし、クライマックスへの移動手段は私らの世代にとっては「ジェットスクランダー出現以前のマジンガーZだ!」で、若い世代にとっては「フォーゼだ!」だったり。

ただ、それらを除くと、驚くほどキャラ立ちがなく、物語は観客にロボットバトルとBGM以外の高揚感や感情移入、モチベーションを与えてくれない作品です(これは110分の上映時間にまとめる際の大幅カットがあるから、とは思いますが)。

スクラッパーの製作者の女性キャラは後半「一癖も二癖もありそうだったけど大して何も行動しない」ほかのパイロットキャラ達に埋もれてしまうし、ジョン・ボイエガ演じる主役は行動のモチベーションが不明なままなんとなく戻ってなんとなく再びイェーガーに乗り、なんとなく最後「オヤジほど立派な演説は出来ないが」と前置きして演説して敵を倒す、という感じです。

無理やり「興行的配慮で」善玉キャラになるようにしか見えない財閥のお嬢様(あそこでお嬢様は協力者ということにして、スクラッパーに乗るのは制作者の女性キャラと最初対立した金髪の人であってほしかった)や、マコの戦死後、指揮をとる司令官代理もどんな人かよくわからないまま殺されたり「実は」で立ち位置を変えるので、盛り上がらないこと夥しい作品となりました。
決戦の地が日本、というのもタダの言い訳に見えるほど距離感が雑ですし(だから最初決戦の地は第三新東京市、と書いたわけですが)、ユニコーンを映すぐらいなら、日本側に伝説の機体となったジプシーデンジャーが修理保存(あるいは再建造)されていて、という展開がよかったと思います、ええ。
とはいえ、今回から完全にマイケル・ベイのトランスフォーマーよろしくフランチャイズで続編ガシガシやりますよ!という体制が整ったので次はどうなるのか、ここからどう盛り返すのか注目したいと思います。
あと、ヘルボーイさんは今回出ませんでした。残念。

見終わった後も基地内見物をして、変なノートを買ったりしてました。

「レディ・プレイヤーワン」と「パシフィックリム・アップライジング」を観てきました(レディ・プレイヤーワン編)

基地の中に「レディ・プレイヤーワン」と「パシフィックリム・アップライジング」を観に行きました。
英語のヒヤリングがまったく駄目な人間ですが、前者は原作を読み、後者は前作を見ているのでなんとか理解出来るだろうということで(笑)
「レディ・プレイヤーワン」はスピルバーグらしい手慣れた娯楽活劇で、原作の前半と中盤部分を大胆に省略して、未来社会のディストピア描写と主人公の底辺生活のところを削り、人死にも減らして、メインはVR世界における人死にのない大戦争&2時間あるDAICON4OPアニメ、に絞り込んだのが上手いなーと。
途中主人公たちが危機を切り抜けたり逆転したりする仕掛けに作る側にいる人間としては「えー!そんなヌルくていいの?」と思わないでもないんですが、そこはそれ、「何を見せたいか」がはっきりしているので、観客として納得は出来るという。
あと「VR内部の描写は未来社会なのにあの程度……ではない」という解釈はズルさと上手さの中間で、この辺は脚色の人とスピルバーグのセンスなんだろうなあと。
ただえーとですね、とりあえずですね。あれだけ予告等々で期待させてたガンダムに関しては言いたいことが山のようにあるんですがそれはまた公開後に(笑)
個人的に原作との相違で一番残念だったのは、「仕事をえり好みしないキティ姐さん」を保有するサンリオは当然ながら、東宝とサンライズとバンダイの版権は説得出来ても、「義理欠く恥欠く人情欠くの三角マーク」な東映は難しかったのねえと。
原作通り量産型エヴァ軍団とミネルバX、レオパルドンは出して欲しかった。スポーンも出たのに!
あと、クライマックスの重要アイテムはこれでした。

 

黙祷と追憶と恥の告白

起き抜けに、中学、高校時代の数少ない知り合いが亡くなったと知りました。
去年の12月だったらしく。
大きな人でした。
まずその体格が。
180センチぐらいはあったでしょうか
木訥ながら優しい奴で、また模型好き。
それもただの模型好きではなく、高校1年生の段階でプラ板だけで見事な 48分の1ぐらいのガンダムの頭や、同じく大スケールのダグラムのターボザックを作っていました。
「手が大きいからさ、市販のものじゃ小さいんだよね」
そう言って笑っていました。
模型雑誌でしかそれまで見たことのない「プラ板職人」とでも言うべき人が自分のすぐ側にいるというのは感動し、同じ中学に通い、私ほどではないにせよ、彼も趣味や外見の特異さをしょっちゅうからかわれてました。一時期は本土の牧師の人に引き取られていたらしく、そこで何を見たのか、経験したのか「神様とかそういうのを信じる人はろくでもない」ということを一度だけ、耐えきれないように口にしたのを覚えています。
中高生というのは夢が大きいもんです。
当時にはよくありがちでしたが、手を動かすよりも実際のSF大会やコミケに参加した時の体験を吹聴する人物が頂点で、ほかは資料や理論、知識を丸暗記して自慢することが多い周囲において(私もまだそのころはそういう人たちの群れの中でした)、彼はオタクの友人としては数少ない、しかもモデラーとしては唯一の「手を動かして作品を作る人物」でした。
彼に対しては恥ずかしい話があります。
高校の時、持久走大会があって、一緒にドベを走ってましたが、最後の最後、追い抜いてやろうと悪い心を起こして走った私を、にやっと笑うとあっという間に追い抜いてしまいました。
つまり彼は私に合わせてくれていたのです。
「何も言わずに抜けがけするなよ」
ちょっと呆れたように彼に言われ、恥じ入ったのを今でも覚えています。
高校を卒業してからは進路も違うため、なんとなく疎遠になり、10年ぐらい前に行き付けの模型屋さんで再会したとき、彼はまだモデラーをしていました。
あの頃作っていたものは、と尋ねると「あの頃は補強技術を知らなくて、作っては途中で壊してしまって、の繰り返しだったんだよ」と笑ってました。
「今はちゃんと完成させてる」とも。
そしてキット制作だけではなくフルスクラッチも続け、四分の1のマシーネンクリーガーなどを作っていました。
これがその一部。沖縄のマシーネン展示会に来られたことのある方は看板代わりのこのスーツを見たことがあるはず。

(写真は「niagalastudioの仮住まい」さんよりお借りしています)
私の「あそびにいくヨ!」がアニメ化された時、何も言わずに小説にのみ出てくる見事な「ルーロス改」をこんな風に作ってプレゼントしてくれました。
完全なフルスクラッチ。

設定通りのボディライン、オマケにタイヤカウルの上にある招き猫の小さなフィギュアまで! 驚く私に
「まだ作り込みが甘いから今度新しく作るよ」と行き付けの模型屋でたまにあうと、恥ずかしそうにそう言ってくれてました。

亡くなったのは去年でとっくに葬儀も終わったとか。
今年の沖縄のマシーネンクリーガーの展示会に私は行くことが出来ず、てっきり彼は来ているのだろうと思い込んでいましたが、実は出品どころか顔見せさえしておらず、主催者の方が気になって確認したところ亡くなったことが判明したと言うことで、私の所にも知らせが来ました。
残念でなりません

まだまだ彼には作りたいものがいっぱいあったと思います。

私も彼の作る模型を見ていたかったし、彼の目に叶うようなメカが出てくるような作品を書きたいと思っていましたが、それはもう叶わぬこととなりました。

本当に、残念です。

半世紀近く前の沖縄→本土間の旅行のお話

 

親しくさせていただいている年上の方が二十数年ぶりに引っ越しとなりまして、少し前に亡くなられたその方のお母様が、色々と大事にモノを補完保存するという、昭和世代にはありがちな理由で色々なモノが出てきまして、処分する際に幾つかをお譲りしていただきました。
これは1970年、かの大阪万博に沖縄からその方のご一家が観光旅行に出向いたときの「思い出の品」の一部。
当時の観光旅行社から配られた日程表(および注意書き)と「観光のしおり」的小冊子、および万博会場で購入した絵はがきです。
日程表と注意書きはこんな感じで「服装」と「パスポートの管理方法」があるのが当時の沖縄の状況と(当時はアメリカ占領下にあるので外国扱い)、地方の日本人にとって、如何にまだ旅行というものが一般的な娯楽ではなかったか、という記録だと思います。
なお、那覇空港、那覇港、泊港の待合室、ロビーの案内図は当然現在のモノではありません(どちらも20年近く前に建て替え)。

そして、この「万博手帳」という小冊子がついてきました。
丁寧な日程表の他にこういうものがついてくると言うのは今では信じられない話ですが、それだけ「県外に出る」ということが如何に珍しく大変だったかを示すと思います。

 

服装の注意などの他、免税品(当時沖縄はアメリカ領土なのでウィスキーや煙草、缶詰類は定番のお土産でした)の持ち込み量の注意があるのが時代ですね。
またこの頃から「夏は本土のほうが暑い」という感覚があったことがうかがえます。
また、万博内施設の案内やエキシビジョンの時間、入場料などの細かい料金まで記載されています。

中でも個人的に一番驚いたのが巻末近くにある船の運賃表と飛行機の料金表でした。
東京まで往復で151ドル!
一ドル360円時代なのでつまり5万4360円。
たしか当時の大卒初任給が4~5万円ですから、1ヶ月分以上が飛んでいく計算に……消費者物価指数で換算すると現在の17万以上、給与比率で換算すると27万越え!! ファーストクラスではなく普通席で!
さらにこれに宿泊施設の費用がかかるわけですから一人旅でも、現在の感覚で30万~40万ぐらいかかる感覚でしょうか。
この12年後、私も一人旅で東京に行き二週間滞在しますが、その際父に「宿泊先は殆ど知り合いや従兄弟の所だったから安く済んだけど、それでも30万ぐらいかかった」と言われました(その年の頭、長患いの果てに母が死に、父は入院費や治療費の精算もかねて夏前に友人たちと起こした会社を辞めましたから、その金が出せたのはそのタイミングだったから、というのもあるんでしょう)。
ちなみに2018年の現在、私が上京する際はこの数年、ビジネスホテルの部屋を一週間近くをとって往復ひっくるめて7万前後ですから…うわあ。

確かに我々は未来に生きているといえるなあと思いました。

「リラム~密偵の無輪者~」電書版が現在半額、もしくは半額以下になっています!

「リラム~密偵の無輪者~」

 

「カミカゼの邦」の電子書籍版半額セールが終了したと思いましたら、今度は「リラム」が半額セールの対象になっております。
しかも今回、AmazonのKindleだけではなく、以下にある複数の所での半額セールです!
歯ごたえがありすぎるファンタジーと評判のこの異世界スパイアクション、如何でしょうか?

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Amazon (紙&電子書籍)
BookWalker(紙&電子書籍)
BookLive(紙&電子書籍)
e-book japan (電子書籍)
DMM(紙&電子書籍)
Reder Store(電子書籍)
紀伊國屋(電子書籍)

内容は以下の通りです。興味が湧いた方は是非!

神々と魔法が去り、宗教が意味をなさなくなった世界。
魔法のような技術と、神々でも溶けぬ経済仕組みは残った世界。
人々は全てを経済によって取り仕切り、「王」の呼び名が失われ「位主」に変わったことさえ、人々が忘れたころ。
かつて国を為した組織は経済集団と定義され「圏“エスティズ”」と呼ばれるようになっていた。
東にあるヒウモト圏の位主=将位主の継承第二位のレイロウ・トクゼは自らその権利を放棄したにもかかわらず、頭脳の冴えゆえに、現将位主である兄からは却って疑われ、暗殺を避けて南の果て、ロキオルス圏に亡命していた。
しかし、ロキオルス圏位主官の娘マリエイラを房中術でもてなしながら隠遁生活を過ごすレイロウの下には、いまだ兄の殺意が貿易商の形となって伸びてくる。ある日、レイロウはマリエイラから、圏が侵略の危機にさらされる前にと、ヒウモトとの外交補佐に紛れた諜報を依頼されるのだが―。

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