父の最後を看取りつつ(4回目&最終回)

妹に電話をしましたが仕事があるうえに家が病院よりも遠く……と思っていたら、これまでどんなときも我が家に親切にしてくれていた母方の叔母(母の姉)とその娘さんが偶然近くまで来たからと御見舞いのつもりで顔を出してくれました。
「どういうことなの?」と騒然とした病室で叔母に言われ、こういう偶然があるのかと溜息がでたのを覚えています。
こういうのも巡り合わせなんでしょうか。
そして、私と叔母とその娘さんの三人に看取られナースステーション前の病室からICUに移動するためのベッドがやってくる直前に父は「息が苦しいなあ、頑張らんといかんかなあ」と言ったまま、荒い呼吸をちょっと続けてました。
「もういいよ、頑張らなくていよお父さん」
そんな芝居がかかった言葉が自分の口からこんな時に出るとは思いませんでしたが、そうしないといけないと思いました。
これ以上「頑張る」ことは苦痛を長引かせることとイコールですから。
それから大きく、激しく何回か息をした後、父はぱたっと、という感じで息を引き取りました。

母は手術を繰り返しながら5年の、祖母は膿瘍瘍から来る脳死状態で6年の寝たきり状態で、生涯の殆どをその看護と費用の支払いに費やした父は、同じ様な寝たきりになることをこの世で最も怖れていましたが、幸いにも、そういうことにはならず、あっという間に近い形で世を去りました。

しかも4月の、冗談みたいに晴れわたった昼下がりに。

てっきり母のように父も夜遅くに事切れるだろうと自分が思い込んでいたことにその時気付きました。

そういうわけで、私は妹夫婦と、それでも付き合ってくれていた親戚一同のありがたい手助けもあって父を見送りました。
葬儀当日のドタバタは割愛。
終わった後の施設からの退去についてのことは前にも書いたとおりです。
さて、葬儀が終わると妹は遠くに嫁いでいるのでもう別の家、つまり私は世に言う天涯孤独になったわけです。
父の遺産と呼べるものは一切ありませんでした。
結局父は母と祖母の医療費と私たちの学費という名の借金を払い続け、50歳でそれを完済したあとは「自分の引退費用のために働く」として家にお金を入れず、私も仕事が軌道に乗ったので同居して光熱費家賃を全額負担し、さらに幾ばくかのお小遣いを毎月渡してましたし、さらに心臓をやってからは年金も10年以上にわたって受け取っていたはずですが、最後に施設に入るときには貯金ゼロで、年金をカタにした借金さえありました。
30歳を過ぎてから衣食住の面倒を見て、さらに小遣いという名目で生活費まで渡してその度に「いつ俺の商売はどうなるか判らないから10分の1でいいから貯金しててよ」というたびに「ああ大丈夫、いざとなったら独立してやっていけるから安心しろ」という会話を十数年続けたハテの話です。
それまでの間に、子供の頃に思っていた「立派なお父さん」像のメッキは剥がれ、嘘や見栄のツケが親戚を含めた「他者からの苦言」という形で私の所まで回ってきてましたから、ある程度の覚悟はしてたんですが。
まさかスッカラカンどころかマイナスになってるとは。
さすがにその時は揉めました(笑)
父が金を何に使ったのか、誰にくれてやったのかは大体の予想はつきましたが、父は決して口を割りませんでした。
それこそ「墓場まで持っていった」のです。
恐らく、父は母を失うまでの間に色々なものを投げ捨ててしまったんだと思います。特に神信心や将来の計画性というものを(前者は一度でも沖縄で喪主になれば痛感すると思います)。
そう私が考えに至るまでの話はまたいずれ。
とにかく、葬儀が終わって初七日が過ぎたあたりで「エージェント・オブ・ドラグーン」のタイトルだった「リラム」にゴーサインが出、執筆作業に入る前にその次の刊行予定になる「エルフでビキニでマシンガン!」の詳細プロットを作りはじめました。
「芸能人で良かった、親が死んでも笑って舞台に立てるんだもの」
と昭和の昔、誰かが言ったそうですが、そんな気分でした。
ちょっと自己演出の審理が入っていたのかも知れませんが、とにかく、仕事があるのは、本当にありがたいと改めて思いました。
「カミカゼの邦」のプロットにゴーサインが出たのもこのころでした。

 

 

 

 

 

 

 

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それが終わると「EXMOD」の元になる「メトロノームMOD」企画書を組み立てはじめました。こちらが刊行されるのは「カミカゼの邦」よりは早いモノの、翌年の2017年になります。
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さて年があけ、EXMODの直しをしながら第2稿を書いていたのが「カミカゼの邦」になります。
「もう天涯孤独だからなにやってもいいや! 全部ぶっ込む!」という覚悟が決まっていたからこそ書けた作品だと言えるでしょう。
こちらはさらに5稿までかかり、世に出ました。
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「カミカゼの邦」の第2稿と並列で直していたのが「軍師/詐欺師は紙一重」の1巻の2稿となります。
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結局、それでも作家としての経済にはこの数年間、なんだかんだで大打撃を受け、マネジメントの人の並外れた努力と助力にもかかわらず、私自身もヘタレたりして、未だに建て直しは進まず、という状況にあります――――正確にはマネジメントの人が立て直してくれたのでこの程度で済みました、といえるでしょう。
まあ生きてる限りは何とかしますし、何とかなるでしょう(そう思わないとやってられません、「こち亀」の両さんがいうように「まず生きる」にスイッチを切り替えて物事を考えないといかんですから)。

……というわけで、そんなこんなで2年が過ぎ、父がいないことはようやく「日常」のなかに組み込まれました。

ですがもう二度と使わない電話があって、あやふやな過去の思い出について問いただす相手がいないというのは、相手にどんな苦労をさせられていたとしても、やはり寂しいなあと思います。

何よりも「お話」への興味を生み出してくれたのは36歳で世を去った母でしたが、そのお話の興味がお話作りに変化する上でのコアになる映画や音楽を教えてくれたのは父でした。
小学生のころ、毎月1回父に連れていって貰う映画と、帰り道に必ず平和通りで食べてたざる蕎麦の美味しさは特別でしたし、一緒に歩くことが好きでした。
その頃の父はまだ「立派な父親」であろうと努力していたのでしょう。
そういうことを「立派であろうとする」ことを全部放り棄てた後もコロコロ太って三桁体重の私と違って、病気で肺に水が溜まったとき以外、最後まですらっと痩せてお洒落でした。
何よりも、「作家になりたい」と言ったとき「30までにどうにかならなければ諦めろ」という条件付きではありましたが、止めたりしない人でした(もっともこれは無関心の裏返しだったのかも知れません。父は生涯、私が何を書いているかを読むことはなく、他者に私の職業を口にすることも滅多にありませんでしたから)。

そして今年、三回忌が過ぎて、ようやく色々な意味で父を赦すことができるようになりました。

できれば父の年齢を追い越してから、そしてちゃんと葬儀費用を作って、葬儀をしてくれる人の為に多少のお金を残してあの世にいくためにもお仕事です。

4回にもわたってダウナーな話にお付き合い、ありがとうございました。

父の最後を看取りつつ(その3)

さて、父の話ですが少し時間を巻き戻します。
まだがんが見つかる前、父に衰えが見え始めたのは、弟の様に可愛がっていた(という割にはかなりの迷惑もかけていたのですが、それでも気にせず我が家と付き合ってくれた気のいい)叔父と一緒に自衛隊の演奏会に行ったときでした。
心臓の事もあってそろそろ杖を使うようにしたほうがいい、という医者の言葉にもかかわらず「めんどうだから」と言っていた父はその日、席へ移動する最中に階段から脚を踏み外して転びました。
幸い、鼻の下を軽く打って鼻血が出た程度で、翌日病院に行ってCT検査までして貰って「異常なし」でしたが、それいらい歩き方がちょっと変わりました。
それでも「面倒くさい」と杖を使おうとしなかったので、「杖がなければ外出しない」と私も、父とはかなり離れたところにすんでいる妹とその子供たち(つまり父にとっては孫)も厳命したため、渋々使うようにはなりましたが、それでも父は杖を嫌がってました。
ものぐさな人でふらっとどこかにいってふらっと戻ってくるのが好きだったためもあるのでしょう。
さて、父の治療が始まりました。
父は抗がん剤を投与された当初こそぐったりしたりもしてましたが、次第に慣れてきて、また入院先が真新しくてスターバックスみたいなカフェもあるため「チーズバーガーとホットドッグが好きだがどっちかといえばホットドッグ」という父はそこのホットドッグを喜びました(ただすぐに昨今のおしゃれなもっちりバンズになったため、総入れ歯の父は地元のファーストフードA&Wのホットドッグを買ってきてくれというようになりましたが)。
社交性も高い人だったので(とはいえ昭和の男性ですので子供としては馴れ馴れしいのとどう違うのかという所もありましたが)、看護師さんとの関係も、同室の人たちとの関係もさほど悪くはありませんでした(昔は積極的に仲良くなろうとしてウザがられたりもしてましたが、さすがにもう最後の時だと覚悟した以上、そういうところにまで気を遣いたくなかったのでしょう)。
最後に外出したとき、那覇新都心で映画を観ました。
ちょうど007の「スペクター」が公開されていましたが、10分遅れて映画館に入ったため、10分後に上映の始まる「コードネームUNCLE」を見ることにしました。
「何の映画だ?」と首を捻る父に「ナポレオンソロだよ」と言ったら「ああ」と納得し、60年代舞台の映画を観て楽しそうにしてました。
それが、父と最後に見た映画で、最後に食べたのはイタリアンレストランのスパゲッティでした。映画館のあるショッピングモールからレストランまでの1キロ足らずの距離を、二度も休憩をいれて移動する時点で「もういかんのかもしれない」とうっすら感じたのを覚えています。
とはいえ、そのあと数か月病院と施設を行き来し、年も明け、父は「長く歩かなければ大丈夫」と杖を使いたがらないのは変わらず元気で、少し痩せた、程度でした。
それが明らかに変わったのは2月からでしたでしょうか。
明らかにフラフラしはじめました。当初は抗がん剤の影響か、と思いました。
なにしろ食欲は相変わらずでしたし、ピザーラのピザを買っていったら「やっぱピザはフチまでパリパリしたシェイキーズのがいい」と言われて苦笑してたぐらいです。
2月半ばのある日、お医者さんから「一年と言いましたが半年か、もっと短いかも知れません」と言われました。
「とにかく早いうちに会いたい人に合わせておいたほうがいいですよ」と。
とはいえ、父の親友と言って私が思いつくのは二人だけです。
そして片方は父がICUに半年入っている間に重いがんで死去し、もう一人は色々あって距離を置いている人でした(あとで聞いた所によると実際にはその方はもうその頃すでに身体が弱っていて、会える状態ではなかったようですが)。
「とりあえず、来週、学会から戻ってきたら再検査しましょう」
そうお医者さんが仰ったのは3月の末。
「疾走れ、撃て!」の最終刊、12巻が発売される直前のことです。
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父は動きもよたよたしてはいましたが、それでも自力でトイレに行き、ラジオを聞いてましたが、4月のある夜電話で「ラジオが壊れた」と言い出しました。
その頃私が手がけていたのは「エルフでビキニでマシンガン!」の企画書で、「大交渉者(仮)」というタイトルの異世界ファンタジーモノのプロットが仕上がって編集部に送ったころだと思います。
この「大交渉者」がのちに大改変と紆余曲折を経て「軍師/詐欺師は紙一重」という作品になります。

仕方ないので新しいラジオを買って翌朝病院に行くと、もう容態が急変していました。
「今週いっぱい」と当直の先生はいい、ならいつものように録りためたお昼のラジオ番組のカセットテープが聴きたいだろうと思って(今思い返せば、母が死んで以後酒と煙草と競馬以外何の趣味も持たなかった父が唯一せっせと毎日やってることでした)、施設の人たちに許可を貰い、父の部屋に入らせて貰い、手当たり次第にベッドの下に収納してあったカセットテープの山を90リットル入る大きくて厚手のビニール袋に詰め込んで病院に戻ると「今日一日持つかどうか」と看護師さんから告げられました。

父の最期を看取りつつ(その2)

父の看護と、金銭的工面、そして仕事というトライアングルの中をグルグル回りながら、仕事のクオリティを落とさないために私は第三者に自分自身を管理して貰うことにしました。
ご本人の都合もあるので仮に「マネジメントの人」と呼ぶことにします。
これまでの仕事の流れというのは2つの行程に別れていました。企画書立案と執筆作業です。
企画立案・プロット(あらすじ)の構築→編集部チェック→実作業として書く
までは、普通の作家さんでもやってる事です。
が、私の場合ここからの実作業行程が問題です。
執筆作業・途中でおかしな部分が見つかる→あらすじに戻って手直し→実作再開→矛盾点を見つけたり追加部分を思いつく→その場で組み込み、様子を見て続行→全体を見回してストーリーの辻褄におかしな部分が無いかチェック→大丈夫だと判断したら編集部に送る→校正校閲(基本二回行うが、沖縄からだとゲラを送っても中1日を考えねばならないため、スケジュールによっては1回のみ)→完成。
という作業工程を大体1ヶ月半から2か月でやってました。
キャラクターや世界観をほぼ全て把握しているシリーズものだから出来ることではありますが、どうしても優先されるのはストーリーの矛盾潰しで、誤字脱字まで気が回りません。
またライトノベルは漢字や言葉の使い方が独特で、校閲さんも機能しづらいところがあります(また当時、どのシリーズも10巻を越えているため、出版の数字の問題もあって、急いで刊行せねばならない、という編集部の方針でスケジュールが組まれていました)

それでもなんとか執筆行程は2ヶ月で終わらせていました。30までは無茶がきく、というやつですが、40を半ばになるともうそういうわけにはいかず、作業が終わると暫く倒れて結局3ヶ月かかるようになっていました。

問題なのは、この執筆作業のやり方はシリーズものの継続には向いていますがゼロから立ち上げる新シリーズには向きません。
世界観とキャラクターの把握にかかる時間が入ってくるからです。
さて、新シリーズの場合は前段階が変更になり、
新作作成・アイディア作り→メインキャラクター作り&世界観構築&ストーリー作り→プロット(あらすじ)の構築→編集者に送付→編集会議→ゴーサインが出る→執筆作業へ
という形になります。
そしてライトノベルは2010年を越えて「なろう」という新勢力の合流があってその数を増やしていきました。
押し流されないようにするにはなるべく打席に立ち続ける必要がありますが、アイディア作りはともかく、提出から編集部の決議までいくのに1か月から2か月かかるようになりました。
それも全てのプロットに順調にゴーサインが出るわけではなく「うちでは今回この作品はちょっと……」ということも珍しくありません。
そこでこれまでのような行程をやるとキャラクターの把握に倍以上の時間が必要になります、つまり新作作りに3か月かかる。
年間2冊で大ヒット、ならいいですが、残念ながらそんな皮算用は出来ません。
私のような作家はこれからも年間6冊以上、できれば10冊は出してこそ次のヒット作が出ると思ってます。
そして私も気がつけば40を終わろうとしています。

もうこれまでのやり方ではダメだと思いました。実感です。

親しくしていただいている榊一郎先生は講師のお仕事やお弟子さんを育てることで常に若い人の感性を吸収していますし、その量産能力はもはや一個のシステムといってもいいでしょう。
さて、神野オキナは相変わらず「工房」ではなく「作業場」でした。
それもこの12年、こさえていたのは猫耳尻尾の宇宙人が出てくる物語と銀髪ロリッ子&ドジっ子士官のがメインの小説です。
どちらも生産終了と決まった今、「新製品」を作らなければなりません。
もちろん、生産終了する品も質を落とすことは出来ません……といってるウチに「あそびにいくヨ!」は終了、「疾走れ、撃て」だけになりました。
さてどうするか。
幸い、一般向けのお仕事もチョコチョコきてはいます。
ですがライトノベルは好きですし、これからも書いていきたい。
何よりも、私のような作家は手数が勝負です。
でも父の病状はゆるやかですが「終わり」にむけて移行していきます。
自分の心の管理は自分で何とかするとして小説を書くという「仕事」を「作業化」できる部分は「作業化」し、管理せねばなりません。
その辺のスケジュール管理や、創作手法そのものの変更が必要でした。
父が亡くなってからで、というには遅すぎます。
そこで、とある人にお願いして相談役と遠隔スケジュールマネージャーをしてもらうことになりました。
その人が提案したのはこういうやり方でした。
1・アイディア作り→メインキャラクター作り&世界観構築&ストーリー作り→2・プロット(あらすじ)の構築を複数作る→3・マネジメントの人に見て貰う→修正、取捨選択→4・編集者に送付→編集会議→ゴーサインが出る→5・箱書きを作成→マネジメントの人&編集者でチェック(※その間に私は最初のうちは4の段階でまた1~3までの行程を並列で行い、出来れば他の出版社に送るところまでを繰り返す)→6・箱書きに沿って初稿を作成→7・マネジメントの人に読んで貰ってチェック→8・チェック部分の修正と変更→9・第1稿として編集部に送付→10・編集部の意見を入れる→11・第二稿作成→以後決定稿になるまで繰り返し
という形になります。
行程は11に増えましたが、作業を並行するには細かく区切ったほうが「この作品は何処まで戻れるか」が判りやすい。
そして「後で崩壊することを予想して、あえてタイトなスケジュールを最初に組んで、次第にリアルなスケジュールに変更する」というテクニックも教えて貰いました(恥ずかしながらそういうコツすらしらないままにひたすらスケジュールに間に合わせる作家人生だったんです)。
これによって並行作業で複数の作品を作ることが出来、それまでかなり手間を取らされていた「自分で自分の作品を書きながら悩みつつチェックする」という行程を飛ばして、冷静な第三者に見て貰うことによってストーリーだけではなく誤字脱字のチェックをして貰い、マネジメントの人はさらに「ほら仕事して!」と今日やること、明日やる事、今週中にやること、今月中にやることを指示し、相談に乗ってくれ、時にグチを聞いてくれるようになったのと、同時にプロットを編集部に提出する前に第三者に見て貰う、そして編集部の「意向」の「通訳」もしてくれるようになり、仕事はお陰でなんとか回るようになり、クオリティにまで気を遣うことが出来る様になりました。
そしてiPadを使用したPDFによるデータ校閲を導入を提唱してくれたのも大きいです。これなら郵送時間を考えた日時の縛りが大分浮きます!
「疾走れ、撃て!」の最終刊の構成を最初に思いついてくれたのもマネジメントの人ですし、「リラム」なんてもっと凡庸なファンタジースパイ物になったと思います。

このリラムをはじめ、2016年の後半から出始めた新作が以前の作品よりもクオリティがあがり、誤字脱字が少なくなってきたのはこのマネジメントの人のおかげです。
さて、話を父の入院に戻します。(続く)

父の最後を看取りつつ(その1)

父が人生三度目のICUに担ぎ込まれることになったのは、ちょうど「あそびにいくヨ!」の外伝「キャットテイル・アウトプット」の最終刊を書き上げたあたりだったと思います。

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色々あって「一人暮らしをする」といった二ヶ月後に、私の目が届かないのをいい事に酒と煙草とカツ丼食で心肥大で足が水で膨らみ、像のように足首が無くなった父を「明日いくから」というのを担ぎ込み、そこから半年、父はICUの中にいました。
一時はこのまま植物人間か、あるいは……と諦め嘆き狼狽えましたが辛うじてそれはなく。
これまで我が家の家計を支え、アニメ化までされた「あそびにいくヨ!」も「そろそろ終わりましょう」という編集部の提案もあって、その準備にかかっていた私は、他にもこの時に判明した諸問題(父の隠されていた金銭面もあれば父の生活態度……特に医者に固く禁じられ、親族からも懇願して止めるように言った酒と煙草と食生活も含む)が限界だと感じ、共倒れを避けるために、一人暮らしのアパートを引き払い、特別養護施設に父を預かって貰うことにしました。
父が亡くなる寸前まで、そこと週に1回から2回通い、本とDVD、あとお菓子類を差し入れ、近くのコンビニで一緒にコーヒーと軽食を買ってました。で、月に一回は一緒に買い物。那覇新都心の100円ショップなどを巡って足りないモノを補給、ちょっと食事するのが定番となりました。
検査で肺がんが見つかってからは半年ぐらいでしょうか、抗がん剤の投与と様子見で二ヶ月にいっぺんの割合で病院に入院するようになりました。
そこで浅学ながら初めて知ったのですが「ステージ」という分類はどこまで癌細胞が転移したのか、という意味で、ステージ1でも心臓の真裏(背中側)に出来、しかもこれまでの心筋梗塞と手術で弱り切った父の場合は手術が出来ないために助からない、ということでした。
「がん」と判ったときには色々と落ち込みましたが、父は至って平静で「来るものが来た」という感じで落ち着いてました。
当時は「癌を治さない」とかいう本が流行っていたのもあって、担当医の先生は丁寧に「抗がん剤を使いますか?」と聞いてきましたが、30年前、母の時は丸山ワクチンにまで手を出そうとした父は、「当然です、やってください」と答えました。
治らないなら、せめていつも通りの生活を出来る時間を長く取りたい、とはっきり言いました。
「どれくらい持ちますか?」
という父の問いに
「3年ぐらいと考えてください、でもまだはっきりとはわかりません」と
で、先生は父が病室に戻った後私に声をかけ「お父様にはああ言いましたが、ご家族は1年だと覚悟して準備してください。うまく抗がん剤が効いて伸びるかも知れませんが、逆の場合は大変ですから」と。
まるでドラマみたいだと思いましたが、祖母の時のような衝撃はありませんでした。
家に帰って遠く離れた場所に住んでいる妹にこのことを報告したとき、ようやく理解しました。
あの時は父がいたのです。
母の時には父と祖母が。
そして私は母の時はまだ子供で、祖母の時でさえ二十そこそこの若造でした。
だからどこかで安心して狼狽え、泣くことが出来たのだと思います。
ですが、父がいなくなるときにはもう、私しかいません。
狼狽えるとか泣くとか以前に、目の前に積まれていることをしなければなりません。
なによりももう40を半ば過ぎておりました。
仕事もあります。
「あそびにいくヨ!」の最終刊を仕上げねばなりません。
それが終われば「疾走れ、撃て」
結果、「あそびにいくヨ!」の最終刊の校閲はそのあとに編集部から来ました。
その時なりに一生懸命やったつもりですが、今見返すと最後の数巻は特に誤字脱字が酷いのは赤面の限りです。

このあたりで「このまま父と自分の為の仕事と作業をしながら生活するには自分だけではなく、第三者の目で監視が必要で、クオリティチェックも編集さんとは別に必要だ」と感じました(続く)

ポリティカル・コレクトネス

最近ではPCともいうそうで。
皮肉屋な人たちが暫く前「政治的に正しい」と翻訳してましたが、実際には
「政治的・社会的に公正・公平・中立的で、なおかつ差別・偏見が含まれていない言葉や用語のことで、容姿・身分・職業・性別・文化・人種・民族・信仰・思想・性癖・健康・年齢・婚姻状況などに基づく差別・偏見を防ぐ目的の表現を指す。 ウィキペディア」
「色々と面倒なことになった」という話もあれば「そこに対応するべき時代が来ただけのこと」という考え方もあります。
今から70年ぐらいまでは「ヘイズ法」というのがアメリカにはあって、女性の裸を見せること自体が禁止でしたし、さらに数百年前には「ピアノの足の曲線はエロ過ぎるので何か履かせるように」という謎のお達しもありました。
我が国で言えば「不倫をしたら刑罰」という「姦通罪」なんてものが1947年代まで存在しておりました。
面白いのは「姦通罪」の廃止を行うとき、賛成したのは年配者が多く、反対したのは若者たちだったそうです。
これには戦争という影によって多数の未亡人と、あくまでも夫を待っている「実質的には未亡人」が生まれたという背景もあるでしょうが、恋愛観が年齢と共に変化するという部分や、当時は普通に存在した「お妾さん」という存在も大きいかも知れません。
個人的には常識は移ろいますし、良くも悪くもインターネットの出現で世界中は「中途半端に繋がった」ために、色々物事が変わって行くのだろうなと思います。
ただ、女性に対する配慮や弱者に対する配慮というものと「そこに問題があることを描く」ことは別なので、安易な言論封殺にはならないといいなと思いつつ、今日も仕事をしております。

風の噂に

今年の10月から貧困対策費用や福祉の費用が削減されるそうですね。

そこで思い出したことがあります。
私はこの世を去るまでの最後の三年間、父を医療介護施設に預けました。
「食べたいときに食べ、飲みたいときに飲み、吸いたいときに吸う」という人で、心臓に心筋梗塞をやって以後も、どんなにお医者さんや看護師さん、子や孫が懇願しても煙草と酒を手放せず、あげく隠れて飲んだり吸ったりするようになり、ステントは三本、弁置換まで行い、ついにはICUに半年以上入院するという事態となりまして、心臓の病気も進行、それまでかれこれ25年、何とか同居して衣食住の面倒を見ていたのですが、生活サイクルも合わず、価値観も違いすぎる親との同居に加えて抱えている大きな仕事の山場を迎えて、「もうこれは第三者に管理して貰うしかない」ということで、医療介護施設にお願いしました。
それから3年後、最後に肺がんを発症した父は、余命1年が半年になり、入院するとそれが3ヶ月になり、3週間になり、1週間になり、最後は自分が見送った母や祖母がそうだったため、最も怖れていた「数年に及ぶ寝たきり状態」を過ごすことなく、あっけないほど簡単に世を去りました。
抗がん剤治療を素直に受けていたお陰で死ぬ前日まであちこち歩き回りアレコレ食事をし「今日来るならサンドウィッチを買ってきてくれ」と亡くなる当日に言いつけて、実際「苦しいなあ」と言ったのは最後の15分ぐらい。
その辺の事情は数年前の日記を参照してください。

そして、葬儀が終わった翌日、父の荷物を全て処分しようということで施設の部屋に行きました。
とりあえずゴミ袋に全部燃えるモノを突っ込み、その週のウチに友人に車を出して貰って全部処分しますが、出来れば燃えるごみ(特に衣類)をいくらかそちらのゴミとして出せませんか、と職員の人に相談したら、職員の人が暫く黙ってから、おずおずと
「あの、もしよろしかったらお父様の遺品、棄てるのならこちらにいただけないでしょうか」
と切り出されまして。
「でも服とかは……」
「肌着とかは抵抗あるかもしれませんが、うちの場合、病院から退院して身寄りがない人が生活保護を受けながら入るパターンが多くて……お金がなかったり、あっても入所にいたって購入しなくちゃいけないものを買ってきてくれる人がいなかったりするんです」
「確かにここにある父の服は(肌着も含め)全部洗ってますけど……」
なお、父が入所の際に必要だと言われて私が買ったモノは
低い(ベッドと同じ高さぐらいの)テーブル、パイプハンガーとそれにかけるためのハンガー、サンダル、コップ、箸類。3段ボックスと衣装ケース2つ分ほどの肌着と冬と夏の衣類。お出かけ用の服。歯ブラシなどの洗面道具。
さらに本人の希望でラジカセ、テレビとDVDデッキ(それと大量の本とお菓子、DVDを毎週要求されました(笑))。
最後のふたつと本やDVDはともかく、それ以外のものは最初は施設から貸与してもらい、その間にささっとホームセンターで買って、大きな物は配送を頼み、それ以外はなんとかタクシーに積んで持って来ました。
元から本を読んだら破って棄ててしまうような所のある人だったのでものに執着がなく、かなりささやかで、質素過ぎてちょっと申し訳ないなあと思っておりました。

ところが。

「これだけ贅沢なものを持ってる人はウチの施設の中じゃ数えるほどしかいないんです。家族や知り合いの面会さえ殆どの人にはないくらいで」
そういえばこの施設に私は最低でも週一回、場合によっては二、三回通ってきてましたが、土日に訪問客が溢れて……というのを見た記憶がありません。
平日の朝10時~17時までは施設の掃除のため、某病院のリハビリセンターに移動しますが、そこに訊ねてくるのは私だけでした。
「そちらのお父様はここの開設と同時に入ってこられたから出来ましたけど、幾つかの品物は貸与という形でお渡ししてるんですがもう足りなくて……」
「えーとじゃあ、歯ブラシ以外のコップとかも?」
「お願いします、食器類は特に細かいだけになかなか」
使いかけの入れ歯洗浄剤、半分残ったインスタント&粉引きのコーヒーも、入院前からちょっとずつ食べていた袋入りミニ羊羹の残りとか「欲しい人がいる」ということで、結局私がそこから持ち帰ったのはテレビとDVDデッキ(これはテレビはヘタをすると生活保護の対象外になる&VTRデッキぐらいしか使わない人が多いので要らないとのことでした)とアルバムぐらいでした。

最後に施設を後にするとき、施設の人が
「あなたのお父さんは幸せだったですよね。毎週あなたが見舞いに来たし、買い物もしてくれてたし、最低でも月に一回は外に連れて行ってくれてて」
としみじみ言われました。
親を施設に押し込んだという罪悪感と、その前後のドタバタで仕事のリズムを完全に崩されて大変な事になっていた私は、それだけでもありがたいと思ったのを覚えています。

それから3年近く。

10月の国家予算削減と、制度改革のアオリを受け、さらに職員の不足でその施設の存続が危ないという話を風の噂にききました。

そして、この話をTwitterに細切れにあげたところ「自分も親の時に同じことをした」という方々、「職員だけどうちの職場もそういうことは珍しくない」という方々からお返事を頂きました。
これは所得の低い沖縄だけじゃなく、日本全国で起きつつある現象のようです。
20年前祖母が他界したときはもっと手厚い福利厚生や医療保護があったと記憶してたのですけれども、国家財政の事情もあるのでしょうが、色々変更を余儀なくされ、福利厚生医療介護に関わる人たち、それに頼る人たちは大変に苦しくなっています。

間抜けのドディ

久々にお金をなくしました。

歩いて15分のスーパーに行くのと、歯医者への通院の以外は何処にも行かない。そして光熱費の支払いが来たらその日のうちに支払うために、ちょっと多めにお金を下ろしました。実際外に二時間以上出たのは「デッドプール2」を観に行くため以外、どこにもいきませんでした。

お金は銀行の封筒に入れ、税金支払い&通院用の鞄(国保やお薬手帳なども入った、ある意味簡易非常持ち出し)に入れておいて、さて今週、また歯医者の時期が近いので引き出しましょう……としたら、

封筒がない。

延々三時間以上、鞄と部屋の中をひっくり返しました。
適当にどこかにおいたイメージではなく、はっきりそこにしまい込んだはずのモノがない、というのは「何処を探せばいいのかわからない」という絶望があります。

それでもこの二週間、その鞄を持って移動したところへ(といってもお金を下ろしたその日の行動範囲のみですが)も回り、そういう落とし物がなかったかを訊ね、警察にも遺失物届けを出しました。

間の悪いことにその日の朝、燃えるごみの日だったので家の中にうっかり棄ててないかと、ゴミ箱を漁るということも出来ません。

真っ青になりました。

実を言うと今から12年前、見事に東京行きの航空チケットを部屋の中で見失って以来の出来事です(これも当日ごみの日だったため、何かの間違いでそのゴミの中に棄ててしまったのだろうと思ったら、半年後、まるっきり予想もしない変な所から出てきました)。

今回、前回どちらも親族が倒れ、部屋の中が混沌になった途端に発生した出来事です(今回は父が亡くなって以来混沌としているという違いがありますが)。

昔の翻訳海外小説風に言うと「間抜けのドディだ私は」ってところです。

3万円もあれば歯医者三回以上にかかり、歯を入れて、今月末までの自炊生活費になります。もしくは税金の支払い分に当てられます。

それが不注意でパアになりました。

こんな間抜けを起こすのは「忙しいから、今ぐらいいつもと違うことをしてもいいだろう」と思ってしまったことでしょう。

「どうせ歯医者にに行くんだから、通院用鞄に入れて老いたほうがいいよね」とか考えず「ちゃんとやっておく」ことが重要だったのです。

ああ、かっちりした生活サイクルをやはり作り、忙しさにかまけず部屋の整理を定期的に、今回濃っ祖徹底的に心がけることにします。

頑張って仕事して失った分を取りもどさねば。

とはいえ、諸事情合って、今年は夏を過ぎた後から本が出ることになると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします!

シュレイオーが電子書籍で購入可能な所が増えましたー!

これまでいくつかの所で何故か電子書籍版「ダマスカス・ハート」だけが購入出来て1巻である「南国戦隊シュレイオー」上下巻が購入出来ない状態でしたが、紀伊國屋さん、BOOK WALKERさんi-BookSさんなどでも購入可能となりました。
「シュレイオー」は上下巻ですが400円以下で購入可能なので、よろしくお願いいたします。
この作品を描けたことがのちに「あそびにいくヨ!」へと繋がる作品です。

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レディ・プレイヤーワンとパシフィックリム・アップライジングを観てきました(※パシフィックリム・アップライジング編)

「パシフィックリム・アップライジング」は前作が東宝と円谷特撮映画&テレビシリーズへのオマージュだったとしたら、今回は良くも悪くも完全に東映とピープロのアニメ&特撮テレビシリーズで、同時にエヴァンゲリオンをアメリカが実写化したら戦闘場面はどうなるかという予行演習にも見えました。
(以下はネタバレになるので読む方は反転してください)

とりあえず、決戦の地は地理的状況を見ても第三新東京市です(笑)
第三お台場(仮称)に立ったまま動かないイェーガーが一機いましたが、次回作は何とかしてくれるでしょう(笑)
今回ある意味敵が出てくる理由とかは、いかにも東映っぽいですし、初っぱなに出てきて後半大活躍するのはどう見てもボスボロット(笑)。
ただ、一機だけグレートマジンガーなのかしらと思っていたら実はブラックオックスでした、というのは楽しいサプライズでした。
あとガーディアン・ブラボーのマツモト14号っぽいのはなんでだろうと思ったら……等など、色々入っておりました。
イェーガーたちの共闘は「マジンガーZ」原作版に出てくるマジンガー軍団そのままな雰囲気で、これはこれで楽しかったです。
前作にあった重いモノをスッパリ棄てて、ひたすら明るく楽しくくすぐりの部分も多く……「東京」の場面でとあるものがちらっと映ったり、前作のイェーガーの拳がインテリアに当たるユーモアの拡大版があったり。
決戦場への移動手段はGガンダム最終回でロボジョックスでしたし、クライマックスへの移動手段は私らの世代にとっては「ジェットスクランダー出現以前のマジンガーZだ!」で、若い世代にとっては「フォーゼだ!」だったり。

ただ、それらを除くと、驚くほどキャラ立ちがなく、物語は観客にロボットバトルとBGM以外の高揚感や感情移入、モチベーションを与えてくれない作品です(これは110分の上映時間にまとめる際の大幅カットがあるから、とは思いますが)。

スクラッパーの製作者の女性キャラは後半「一癖も二癖もありそうだったけど大して何も行動しない」ほかのパイロットキャラ達に埋もれてしまうし、ジョン・ボイエガ演じる主役は行動のモチベーションが不明なままなんとなく戻ってなんとなく再びイェーガーに乗り、なんとなく最後「オヤジほど立派な演説は出来ないが」と前置きして演説して敵を倒す、という感じです。

無理やり「興行的配慮で」善玉キャラになるようにしか見えない財閥のお嬢様(あそこでお嬢様は協力者ということにして、スクラッパーに乗るのは制作者の女性キャラと最初対立した金髪の人であってほしかった)や、マコの戦死後、指揮をとる司令官代理もどんな人かよくわからないまま殺されたり「実は」で立ち位置を変えるので、盛り上がらないこと夥しい作品となりました。
決戦の地が日本、というのもタダの言い訳に見えるほど距離感が雑ですし(だから最初決戦の地は第三新東京市、と書いたわけですが)、ユニコーンを映すぐらいなら、日本側に伝説の機体となったジプシーデンジャーが修理保存(あるいは再建造)されていて、という展開がよかったと思います、ええ。
とはいえ、今回から完全にマイケル・ベイのトランスフォーマーよろしくフランチャイズで続編ガシガシやりますよ!という体制が整ったので次はどうなるのか、ここからどう盛り返すのか注目したいと思います。
あと、ヘルボーイさんは今回出ませんでした。残念。

見終わった後も基地内見物をして、変なノートを買ったりしてました。

「レディ・プレイヤーワン」と「パシフィックリム・アップライジング」を観てきました(レディ・プレイヤーワン編)

基地の中に「レディ・プレイヤーワン」と「パシフィックリム・アップライジング」を観に行きました。
英語のヒヤリングがまったく駄目な人間ですが、前者は原作を読み、後者は前作を見ているのでなんとか理解出来るだろうということで(笑)
「レディ・プレイヤーワン」はスピルバーグらしい手慣れた娯楽活劇で、原作の前半と中盤部分を大胆に省略して、未来社会のディストピア描写と主人公の底辺生活のところを削り、人死にも減らして、メインはVR世界における人死にのない大戦争&2時間あるDAICON4OPアニメ、に絞り込んだのが上手いなーと。
途中主人公たちが危機を切り抜けたり逆転したりする仕掛けに作る側にいる人間としては「えー!そんなヌルくていいの?」と思わないでもないんですが、そこはそれ、「何を見せたいか」がはっきりしているので、観客として納得は出来るという。
あと「VR内部の描写は未来社会なのにあの程度……ではない」という解釈はズルさと上手さの中間で、この辺は脚色の人とスピルバーグのセンスなんだろうなあと。
ただえーとですね、とりあえずですね。あれだけ予告等々で期待させてたガンダムに関しては言いたいことが山のようにあるんですがそれはまた公開後に(笑)
個人的に原作との相違で一番残念だったのは、「仕事をえり好みしないキティ姐さん」を保有するサンリオは当然ながら、東宝とサンライズとバンダイの版権は説得出来ても、「義理欠く恥欠く人情欠くの三角マーク」な東映は難しかったのねえと。
原作通り量産型エヴァ軍団とミネルバX、レオパルドンは出して欲しかった。スポーンも出たのに!
あと、クライマックスの重要アイテムはこれでした。