「死霊のはらわたリターンズ」S1~2感想

今回は13日の金曜日に相応しい話題です(笑)
Huluで「死霊のはらわたリターンズ」シーズン2までを見ました。

今から数十年前、まだ無名時代のサム・ライミ監督と仲間たちが作った「死霊のはらわた」は低予算ながら異様なテンポの良さと演出で、当時嵐のように巻きおこっていたスプラッタホラーブームのトップランカーに踊り出て、以後サム・ライミは大監督への道をひた走ることになります。


ゾンビものという体裁で当時日本では喧伝されてましたが、もっとスピーディで狡猾で、劇中呼ばれる「悪霊」という言葉がピッタリするような傑作でした。
当然続編が作られ、主役のブルース・キャンベルは青年期の殆どをこの映画に捧げたと言っても良いでしょう。

なお「死霊のはらわたⅡ」は「死霊のはらわた」の続編ではなく、一種のリメイクで、アッシュが事件をはじめたことになっています。
特に第三作である「キャプテン・スーパーマーケット」の劇場公開版のラストは痺れるぐらい格好良かったです(残念ながらサム・ライミご本人はこの、映画会社の要請で撮らされたラストがえらく嫌いで、現在販売されているソフトは全て本来の『時そば』オチが使われてますが……)

で、それをテレビシリーズにするってことはどっちのオチを使うの? と思ってたらやっぱり劇場公開版のその後らしく。
最初の「死霊のはらわた」では結構純情で、恋人の言いなりに車を出したりと、あまりキャラもたってなかったアッシュですが、1作目のリメイクでもある2作目では事件をはじめるテープレコーダーのスイッチを「面白そうだ」と入れ、悪霊に取り憑かれた手首と格闘した挙げ句切り落とした辺りから「適当で直感で物事を決めてしまう&相手に負けるぐらいならどんな手段でも使う」というキャラが付属し、「キャプテンスーパーマーケット」では最終的に「適当でいい加減で自己中のナルシスト」というキャラが完成しました。

で、当然テレビシリーズもそういう設定です。何しろ物事を最初に悪化させたのは女の子をナンパしてマリファナ吸っていい気になった当人という……!
で、大抵のオカルト、ホラー系の映画をテレビにすると血糊の量はぐっと減るんですが……これは「いや、スプラッター映画の金字塔のテレビ化ですよ? 何言ってるんですか?」とでもスタッフが画面の向こうから語りかけてくるかのように、毎回最低でもドラム缶3本分は血糊がぶちまけられるような作品となっておりますので、苦手な方はご用心。
意外な役者さんが意外な役周りで出てきて無残に殺されたり、殺された後はしっかり死霊に操られて襲ってくるとか、しかも負けそうになると本人であるかのように装って逆襲しようとしたり、本来の映画版に残っていた要素はかっちり押さえております。
凄いなあと思うのはアッシュのその「デタラメでいい加減で自己中でナルシスト、基本考えるのは苦手で女好きで、めんどくさい事は撃ってから考える、しかもちゃんと何とかしてしまう強運の持ち主」というキャラクターのお陰で物語が始まり、回転し、納まるところに納まっていくという。
特にシーズン1の最終回なんて、アッシュ以外のキャラクターでは有り得ないラストです。
でシーズン2になると「それは無関係な一般市民から見ればサイコ野郎ってことだよね」という片鱗を見せ、アッシュにとって死霊=動く死体を切り刻むことが一種の日常で、死ねば死体もタダの物、もしくは悪霊の取り憑く器でしかない、ということをギャグとして見せていくわけで。
一応ドラマなので仲間も出来ますが、気弱で善良なパブロは叔父さんを殺されても一般市民的善良さをまだ「少しは」持ち合わせるものの、それ以外の仲間となる女性達は逞しく状況に対応し、最初こそ躊躇するものの、死にかけて何とか生き延びると、二度目からは遠慮無しに銃をぶっ放せる人間になっていくというあたりの「周囲の頻繁な人死にや、人が人の形をしたものを壊すことになれてしまう」という怖さもちらっと描いていて(見ている間は殆ど気付きませんが)、というのも見事だなあと思います。
シーズン2は評判になったのか意外な役者さんが出てきて、いい役を貰ったと思ったら無残に殺されたりとか、「死んだら死霊、いい人は頭が潰されて死霊にならない」を徹底しているのは偉いというか無茶というか……
吹替もテレビドラマ「バーン・ノーティス」以来ブルース・キャンベルのフィックス声優になった江原正士さんの声で喋るので、とんでもない格好ツケのロクデナシなのにどこか憎めないアッシュの魅力が爆発しております。

残念ながらアメリカではシーズン4でシリーズ終了が決定しちゃったそうですが、さてどんなオチをつけるのか(あるいは着けないのか)楽しみにしていたいと覆います。

個人的にはシーズン2に登場し、江原さんが「NHK教育のキャラクターのように」演じたこの「切り裂きアッシュ君」のマペットが実際ネカから販売されてるのでちょっと欲しくって……

強殖装甲ガイバーのお話

今に至るも続く大長編漫画「強殖装甲ガイバー」の第一話が始まったのは私が中学に入学したその月でした。
徳間書店からマニアックな漫画家さんにSFやファンタジーを中心にした漫画雑誌「キャプテン」が刊行され、そのラインナップの第一弾に「ガンダムの」が取れて漫画家としての地位を確立しつつあった安彦良和の「クルドの星」、「軽井沢シンドローム」の大ヒット後を注目されていた、たがみよしひさの「GREY」と並んで現れました。



装甲強化服を生物(ユニット)として、装着者に「侵蝕」することで一体化し、戦闘時には「殖装」、システム的には装着者の「保護」目的で戦闘力を寄与するという考えと、敵である「クロノス」のネーミングや社会への滲透などの描写がこれまでにないハードなモノで、痺れました。
それだけではなく善悪入り乱れ、血みどろになりながら続く戦いとその中でほの光る人の善意や矜恃のディティールがまた素晴らしく。
1年が過ぎ、2年が過ぎ、私が高校を卒業するころには、間に中断を何度か挟みつつ、「キャプテン」の連載第1弾で続いている作品はガイバーだけでした。
当時OVA版が作られるほどの人気を保ったまま、というのは凄いことでした(当時、オタク向け漫画というのは綺麗に終わる作品というのは珍しく、中断したまま消えたり、終わるにしても随分投げっぱなしのエンディングというのも珍しくありませんでした)。
すでに「宇宙英雄物語」が終わり「トライガン」が大看板に成長しつつあるころです。
が、「キャプテン」は諸事情あって消滅。
やはり壮大すぎて物語は完結しないのか、と思っていたら復活しました。
しかもこの手の作品にありがちなテンションの下降やキャラクターの変容はなく、「前回の最後からそのまま時間が続いている」と実感出来るクオリティとキャラクターたちで。
角川書店の少年エースをベースに現在も続いておりますが、国内国外問わず、未だに根強いファンがいて、造形物も含め定期的に新商品が出、数年前のKindle版の大セールの時は並み居る強豪(その中にはエヴァンゲリオンのコミカライズ版もありました)をなぎ倒し売り上げトップを全巻で抑え込むということも起こりました。
で、先日海外から、こういうコスプレ写真が流れてきたほどです。

胸の膨らみ方や腰のくびれからするとOVA版で初登場した女性型ガイバーことガイバーⅡF(劇場版)」ですかね。
10代の頃にOVAや漫画、造形物でガイバーに触れた世代が未だに熱心に追いかけてきてくれていると言うことなんでしょうか。
そういえば20年ぐらい前まで人事異動の季節になると、沖縄に新たに配属になった米兵さんが「るろうに剣心」と「ガイバー」のアニメ版新作を探しに嘉手納基地周辺のTSUTAYAを巡るのはよく見たし、未だにファンな人は沖縄コミコンでも目撃しましたから、舞台を完全にアメリカに移して実写ドラマで、ってのもいいかもしれないなーと思いまして。
なお、ガイバーは二回、実写映画になっております。
予算の殆どをガイバーとゾアノイドに突っ込んだという低予算映画でしたが、当時一点豪華主義でSWのルーク・スカイウォーカーことマーク・ハミルが事件を追うFBI捜査官の役で出演してます。
1はともかく2の「ダークヒーロー」は崖から飛び降りながらの「殖装」シーンや、「タメ」や「キメ」を僅かながら使うアクションシーンはかなり力が入っていたと思います。
いいところだけを抜いて編集するとこのようにかなり格好いいMADが出来るほどです。

動画配信サイト花盛りの時代、いっそ本格的に海外に舞台を移し、低予算でも日本とは比べものにならない予算をかけた実写ドラマとしてガイバーをやるのはどうなのかしら、とつい夢をみてしまいます。

魔法少女サン&ムーン~推定62歳~

TLに流れてきたんでひょいと観に行ったらみるみる読んでしまい、慌ててKindleを買いました。
淡々としてて、颯爽とした魔法少「女」のお話。
「まどかマギカ」に端を発した「残酷な」魔法少女ものというのは数々ありますが、それは戦闘や社会、あるいは宇宙そのものという大きなものが彼女たちに牙を剥いていたら、というお話。
ここに描かれているのは「魔法少女という永遠の時間」を手に入れてしまった少女たちのその後と「老い」と「おしまい」の物語。
社会は彼女たちのことを知りつつもいつもと変わらず流れ、残酷に牙を剥いたり襲いかかったり、魔法少女同士が殺し合うこともない。
でもそこにあるのは「時間を止めた永遠の少女」であることの意味、そして「永遠の時間を続けること」への「彼女たちの結論」。
地に足のついた「重さ」のあるお話なのに、さらっと描いているのが凄いです。

席が空き 昭和 ドンドン遠くなり

そんな似合わない句をひねり出したくもなるもんで。

桂歌丸師匠が亡くなられたそうで。
やはり子供の頃は定番の大喜利での口上「一度でいいから観てみたい女房がへそくり隠すとこ」というのが印象的でした。
子供の頃、先代円楽師匠が司会じゃなくて回答側にいて、三波伸介氏が司会をやってたころの「笑点」で、私が最初に覚えた落語家の名前は「幽霊」「化け物」と歌丸師匠にからかわれる役周りの三遊亭小円遊師匠でした。
次がそのからかい相手の歌丸師匠。円楽師匠は「星の王子様」ネタでくすぐられてましたが、子供の私は60年代のネタなんか当然知りませんからポカンとしてたものです。
一番最初になくなったのは三遊亭小円遊師匠で(84年)それまでカメラが回ると互いを罵倒し合う仲だった歌丸師匠が実はそうではなく、仲が良いからこそ出来たあの風景だった、という解説が入り、何よりも葬儀の場で悄然とうなだれてた歌丸師匠の姿をみて、「あれはお芝居だったんだな」と納得したのを覚えています。
そういう意味ではプロレス用語で言う所の「アングル」を私が初めて理解したのはこのお二人の関係を観てのことだったのかも知れません。
そして次に司会だった三波伸介氏が亡くなり、圓楽師匠が亡くなり、初代司会で圓楽師匠とは親友同士だった談志師匠が亡くなり……で、歌丸師匠も亡くなりました。
ちなみに小円遊師匠が亡くなった後、最初の笑点での歌丸師匠の口上は至って真面目な上「碁敵は憎しも憎し懐かしき」で、「もう、お芝居は終わりだよ」という意味でも印象に残っています。
……あの世とやらがあるとは私、カケラも思っちゃいませんが、もしもあるのなら、あの辺の皆さんでまた掛け合いやっててほしいものです、黙祷。

 

椿三十郎からの派生作品

椿三十郎が、とうとう4Kコンバートされたそうで。
個人的には黒澤明作品の中では一番好きな作品です。
ところで、椿三十郎は一箇所だけ「仲代達也頼み」で省略されてる部分があって、仲代達也演じる室戸半兵衛は「切れ者」という描写はあっても「腕が立つ」という描写はほぼラストまでないんですね。
みな口々に「凄い」とはいうんですが、腕なのか頭脳なのかは曖昧です。
せいぜい三十郎が血気に流行る若侍たちに向けて「アレは虎だ」と言い放つぐらいで。
実を言うと私が「椿三十郎」を観たのはリアルタイムやリバイバル公開の劇場ではなく、黒澤明自らがCMのタイミングにいたるまでハサミを入れたゴールデン洋画劇場での「黒澤明特集」の中の一環で(黒澤作品がテレビに降りてくると言うのは当時それだけの大事件でした)、放送は「用心棒」の翌週、あの白いマフラーにリボルバー(これもまた弾倉の中に電池が入り、ハンマーが落ちると通電して銃身内の火薬が発火するという凝った代物だったそうですが)と最後まで執拗に三船をあの世に引きずり込もうという壮絶な「卯之助」のインパクトが残った状態でしたから、「同じ仲代達矢だし」と私は全然気付きませんでした。
当時の映画評の中にはそれが唯一この映画の傷という人もいたそうで

で「椿三十郎」を観たら是非岡本喜八監督の「斬る」も観て欲しいところです。

国を蝕む奸物に怒る若者たちが決起しようとして、それを旅の風来坊に停められ、彼を中心に……という同じプロットの骨子を持ちつつ、「斬る」では主人公を「椿三十郎」では奸物側にいた仲代達矢演じる元侍のやくざと、高橋悦史演じるワケアリの素浪人のふたりに割り、視点を若侍、奸物側のみならず、奸物側に利用される第三勢力としての浪人隊、という三つにするとこうまで違う話に見えるのが見事です。
物語の後半、仲代のヤクザがボロボロになるまで殴られ蹴られして、「用心棒」の三船と同じ方法で敵と戦うんですが、その方法が最も有利に働く場所を選び、最後のトドメの挿し方にまた一工夫あるのが岡本喜八監督らしい。

こちらの場合善人の御家老が東野英二郎で、スケベ親父というのも憎めないですね。

あと「奴らを全員始末したら家臣に取り立ててやる」と若侍たちを狩る側に回ることになる浪人隊の隊長の岸田森が歴戦の傭兵のような格好良さで、辛酸をなめ尽くし、酸いも甘いもかみ分けてなお、善人であり、夢を棄てられないというところが切なくて良かった。
映画における岸田森の主人公側キャラとしては「狙撃」の武器屋に並んで好きなキャラクターです。
時点が「ダイナマイトどんどん」で出番は短いながらコミカルな演技で場を掠うえせインテリヤクザの役でしょうか。

で、こちらは東映チャンネルで放送されるぐらいしか観る手段がないのですが、

「東映が古い手法で椿三十郎を換骨奪胎するとどうなるか」

というのが丹波哲郎の「隠密侍危機一髪」
こちらは内田良平が「椿三十郎」の仲代達矢演じる室戸半平太を更に強烈にしたような、奸物たちの懐刀でありながらそれ以上に過激な思考をもった役を務め、丹波が三船のキャラでありながら実質は江戸のお殿様からの密命を受けた忠義の人というアレンジが効かせてあります。
終止のんべんだらりとした丹波哲郎が時折見せる切れ者ぶりと、同時に内田良平とは幼なじみで互いの思考を読みあいつつ丁々発止するあたりとか、丹波哲郎のほうが実は諦観を持って侍社会を見ていて、内田良平のほうが理想に燃える余り、という部分が見え隠れしてて、そこをもっと膨らませれば傑作だったんでしょうが、そこは東映、あっさりチャンバラでカタを付けてしまうのが勿体ない。
ただ、こうしてみると三作ごとに骨格は共通ながら色々工夫して肉付けして一見すると同じ話に見えないようにしてるというのが興味深いですね。

最近、リメイクされた椿三十郎は……まあ観なかったことに。

※下の画像をクリックすると電書を含めた神野オキナの本の案内ページに飛びます。気に入った表紙をクリックするとさらに解説&販売ページに飛びますので、お買い上げよろしくお願いいたします。

電子書籍についての雑感

作家稼業というものをやっておりますと、昨今は印税の他に電子書籍の「売り上げ」というモノが入ってきます。
印税は出版社が「あらかじめこれだけ刷って販売するのであなたに前払いします」ということで原稿が出来上がって契約を結び、1万冊刷ったら1万冊の印税が著者には入り、実際には100しか売れなくても「返せ」とは言われません。

電子書籍からの収入は文字通りの「売り上げ」で、何冊売れたかを定期的にチェックし、その売り上げから私の取り分をまとめて支払う、ということになります。
大きな違いは出版社にとってのリスクと我々作家にとってのリスクの種類です。
出版社は「印税」で紙の本を印刷すれば大きく儲かります(といってもどんな本でも最低の採算ラインは2万部前後だそうですが)、また勝手に安売りされることがないように法律で保証された商品でもあります。
その代わり、本としての体裁を整えるための最低限の内容に指導とチェック(編集者と呼ばれる人たちがこれを行います)、校閲校正、版下の作成と印刷、流通へ支払う費用、売れなかったときのリスク(在庫を保管する場所の維持や送りかえされる時の流通費用など)は全て出版社の持ち出しで、それ故に作家の取り分は全体の10%に過ぎないか、あるいはそれ以下に設定されることが多々あります。
ただし、そのお陰で作家は印税というモノで最低限の収入を保証されるわけです。
売れなくなった本の作者は次の作品の部数を下げられていき、ある一定ラインを切ることが連続すれば(もしくは致命的に売れない、と営業が判断した場合)「もうあなたの本は出せません」となります。
商業出版の電書は基本それよりもやや高く作家の受け取る割合が設定されてはいますが、文字通り売れただけ。シビアな現実がお金になって跳ね返ってきます。
ですが、本屋に本を置くのには流通との契約、書店との契約と個人では難しいハードルが幾つもありますが、電子書籍にはそのハードルが低く設定されています。
電子書籍はそれだけで作る場合様々なソフトやアプリケーションが現在アリ、AmazonのKindleに至っては自動生成するシステムを無料で公開利用できるぐらいです。
ですから、最悪作家にその気があれば電子書籍を自分で出すことは可能で、その売り場はあちこちにあります。AmazonのKindleに至っては「うちで専売するなら定価の70%は著者に」と盟約するほどです(※ただし定価の下限あり)

ここで問題なのは多くの商業出版社が「紙の本」中心でシステムを運用し、電子書籍を敵視している、あるいは「オマケ程度のもの」という認識であることと、商業出版の場合「電書用の版下と印刷用の版下は現在同じシステムでは作れない」ことです。

単なるPDFなら問題ないのですが、電子書籍の様式(システム)は現在国内にKindleを含め、大きなものだけでも紀伊國屋、BOOK WALKER、BookLive、e-book japan、DMMブックス、Google play、honto、ibook store、Reder Store、ワニブックスのビューワー、ニコニコ静画等々も含めれば10種類以上あります。
それぞれのシステムに合わせて版下を作らねばなりません。
スマホで見るのかタブレットで見るのかPCでみるのか、それぞれの画面に対応することを迫られたりもします。
結果、現在は浮くはずだった流通費用と在庫保管(これが紙の本だと値段の3割を越え、在庫保管の費用と合わせると半分近くを占めることになります)の費用が浮かない……ということらしいです。
紙の本は本屋ごとに版下を変えたり判型を変えたりする必要はないですものね。
ですから「Kindle専売だと著者の取り分70%」というのはとんでもない飛び道具ではありますが、同時にそれが「飛び道具」になる素養は、この日本国内の電子書籍方式の統一性の無さに起因します。
さて、電書の印税ですが、最近よく苦笑いするのは、数年間で販売された冊数をトータルで計算すると、軽く紙の本の再版2、3回分になってたりする本もあったりすることです。
恐らくこれは「店頭になければ買えない」紙の本では逃してしまう売り上げです。
電子書籍の良い点は「どこにいようとクリックしてしまえば買える」ことにあります。
が、同時に殆どの出版社にとって今の所値段が上下する(紙の本ではないので保護対象ではない&Amazonの方針もアリ)電子書籍は現在(2018年)殆どの出版社において「本の売り上げ」としてカウントされません。
私の電子書籍の中には数年がかりではありますが、紙の本の再版分に匹敵する売り上げを出したモノもありますが、だからといって「又続きを」とはなりません。
現在はあくまでも紙の本の売り上げ(それもほとんどの漫画やライトノベルの場合は一週間の初動)がその作品の命運を決めてしまいます。

そして個人で電子書籍を出す場合、どうやって買ってくれる読者までその情報を届けるのか、という有効な手段が未だに見つかっていないという問題が解決されていないのです。

すでに個人書店が減り続け、反対にスマホやタブレットは増え続けているご時世です。
出版社、流通、本屋の関係とシステムが出来上がって100年以上経過しているそうですから、そろそろここいらで新しく「紙の本を売るやり方」を考え直すべき時にきてる気がします。
そろそろ「紙の本は初版のみだったけど電書で再版数回分売れた」という「本」も出てくるかもしれないので、収益の見方やシリーズの継続に関しても新たな基準が必要になると思うのです。

Twitterでも他の依頼原稿でも書いたことをまたここでも繰り返しますが、「本=紙の本&電子書籍=紙の本の敵」という考えを捨て去り、「電子書籍という新商品」に対する考えを変え、国内の電子書籍の基準を統一しないとマズイ時期に来てると思います。

個人的には紙の本自体が中身の周知宣伝のアイテムとして組み込まれて収益は電書で、みたいなビジネスモデルとか…あれ?何偉そうな事を私はいってるんでしょう?これは涙?

……てな冗談はともかく。

とりあえず自分の場合は「紙の本も電子書籍もどっちも売れて欲しいので、電書の発売時期を紙の本より遅くする制度は止めて欲しいなあ」と思います、ハイ。
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色々作る時の思考

昨日は一オタクとしては「何でも楽しもう」という考えが幸せだし寛容である必要もある、とお話しをしました。
が、まあ矛盾するのが人間です。
自分がものを作る時は話が別になります。
観客モードから思考を切り替えて、己の声に素直に従って「あれはやるまい」とか精一杯自分の信じるモノを全部投入してやれることを全部やるのがベストです。
もちろん完全には行かないけど、その時、その瞬間、その場においてやれるだけはやる。
後悔するのはあとで「やらない後悔よりやった後悔」でいく。
西川伸司先生の漫画「日本特撮映画師列伝 」の中で、とある造形作家が寝不足と時間の無さに不本意な出来の怪獣の着ぐるみを納品して、その際ちょっと言い訳をしたら現場の偉い人に「視聴者には関係が無い、君はその言い訳を怪獣の背中にでも書くつもりか」と怒られるという挿話があります。
基本、物作りはそういうもので、お客の目に触れた時点で作者一人のものじゃなく、事情も観客には無関係です。
こういう話をしてると、なんか自分のクビを真綿で占めてきてる気もしますが(笑)で、色々なゲームや漫画制作の現場を取り仕切った経験のある知り合いの某氏に、
「締め切り守りつつ自分のクオリティを高め、あるいは維持するにはどうしたらよいのよ」と訊ねたら
「そりゃ簡単だ、多くの完成品をつくって世に送り出せばいい」
とあっさり言われました。
「完成品が多いほど普通、物作りは上手くなる。半完成品は夢の塊のママだからある程度まではいっても結局、当人が望むように上手くなることは絶対にない」
「じゃどうやって完成品を多く作る? とにかく適当に早く?」
「いいものを作るのは商売として当然。適当に作るんじゃない、手早く作って見直す」
「どうやって?」
「頭から最後までとにかく急いで、出来れば締め切りの半分の時間で一度完成させる。で、なるべく時間をおいて客観視する。そうしたら何処が足りないか、歪かが判る。あとは最低限の手直しでどこまでいけるかを考えて、手直しをする。締め切りギリギリまで」
「えーと、最低限の手直しって手抜きじゃ? 駄目なモノは全部作り直したほうがいいんじゃないの?」
「あのね、客観視した上での最低限の手直しってのは、手抜きじゃなく効率化の時間を取った上での最短距離。全部作り直しは気分はすっきりしてもドツボに入ると永遠に完成しない」
「…………でもさ、こう創作行為ってのは【天啓】というか【マジック】が試行錯誤の果てに最後の一瞬振ってくるもんじゃないの?」
「あー、それな。ただの錯覚。たまたまそれで上手くいった奴がそう言ってるだけ。第一即身成仏した偉い坊さんの周囲には山のようにしくじった連中の墓があるって話をしただろ? 仏陀以前&以後に同じ様に悟りを開こうとして歴史に残ってない連中がどれだけいるよ?」
「う……」
「第一、お前さんがそういう作家ならとっくにそうなってるだろ。なってない、ということおはそういう作家じゃないってことさ。その上でどうしていくかってことじゃないかね?」
「……はい」
「で、お前さんの仕事のやり方はどうよ?」
「うう……作っては矛盾に気付いた時点で戻ったり先にいったりしながら……やれるだけのことを全部ぶち込んでネタも……」
「今から20年ぐらい前に沖縄コミケの時に開田裕治&あや先生ご夫妻や唐沢俊一先生たちと一緒に来られてた睦月影郎先生になんて言われた?」
「【プロ(の作家)は手を抜くんじゃなくて力を抜くんだよ】って」
「それをオレ流に翻訳するとこーなる」
「……」
「お前さんは元々職人型の思考回路と創作方向なんだから天才のマネをしないほうがいいだろ? そっちの努力は間違った努力だと思うぞ?」
というわけで私は仕事のやり方を切り替えたわけですが。
その辺の事情はこちらの配信動画に。四回もあるんでお暇なときにでも。

風の噂に

今年の10月から貧困対策費用や福祉の費用が削減されるそうですね。

そこで思い出したことがあります。
私はこの世を去るまでの最後の三年間、父を医療介護施設に預けました。
「食べたいときに食べ、飲みたいときに飲み、吸いたいときに吸う」という人で、心臓に心筋梗塞をやって以後も、どんなにお医者さんや看護師さん、子や孫が懇願しても煙草と酒を手放せず、あげく隠れて飲んだり吸ったりするようになり、ステントは三本、弁置換まで行い、ついにはICUに半年以上入院するという事態となりまして、心臓の病気も進行、それまでかれこれ25年、何とか同居して衣食住の面倒を見ていたのですが、生活サイクルも合わず、価値観も違いすぎる親との同居に加えて抱えている大きな仕事の山場を迎えて、「もうこれは第三者に管理して貰うしかない」ということで、医療介護施設にお願いしました。
それから3年後、最後に肺がんを発症した父は、余命1年が半年になり、入院するとそれが3ヶ月になり、3週間になり、1週間になり、最後は自分が見送った母や祖母がそうだったため、最も怖れていた「数年に及ぶ寝たきり状態」を過ごすことなく、あっけないほど簡単に世を去りました。
抗がん剤治療を素直に受けていたお陰で死ぬ前日まであちこち歩き回りアレコレ食事をし「今日来るならサンドウィッチを買ってきてくれ」と亡くなる当日に言いつけて、実際「苦しいなあ」と言ったのは最後の15分ぐらい。
その辺の事情は数年前の日記を参照してください。

そして、葬儀が終わった翌日、父の荷物を全て処分しようということで施設の部屋に行きました。
とりあえずゴミ袋に全部燃えるモノを突っ込み、その週のウチに友人に車を出して貰って全部処分しますが、出来れば燃えるごみ(特に衣類)をいくらかそちらのゴミとして出せませんか、と職員の人に相談したら、職員の人が暫く黙ってから、おずおずと
「あの、もしよろしかったらお父様の遺品、棄てるのならこちらにいただけないでしょうか」
と切り出されまして。
「でも服とかは……」
「肌着とかは抵抗あるかもしれませんが、うちの場合、病院から退院して身寄りがない人が生活保護を受けながら入るパターンが多くて……お金がなかったり、あっても入所にいたって購入しなくちゃいけないものを買ってきてくれる人がいなかったりするんです」
「確かにここにある父の服は(肌着も含め)全部洗ってますけど……」
なお、父が入所の際に必要だと言われて私が買ったモノは
低い(ベッドと同じ高さぐらいの)テーブル、パイプハンガーとそれにかけるためのハンガー、サンダル、コップ、箸類。3段ボックスと衣装ケース2つ分ほどの肌着と冬と夏の衣類。お出かけ用の服。歯ブラシなどの洗面道具。
さらに本人の希望でラジカセ、テレビとDVDデッキ(それと大量の本とお菓子、DVDを毎週要求されました(笑))。
最後のふたつと本やDVDはともかく、それ以外のものは最初は施設から貸与してもらい、その間にささっとホームセンターで買って、大きな物は配送を頼み、それ以外はなんとかタクシーに積んで持って来ました。
元から本を読んだら破って棄ててしまうような所のある人だったのでものに執着がなく、かなりささやかで、質素過ぎてちょっと申し訳ないなあと思っておりました。

ところが。

「これだけ贅沢なものを持ってる人はウチの施設の中じゃ数えるほどしかいないんです。家族や知り合いの面会さえ殆どの人にはないくらいで」
そういえばこの施設に私は最低でも週一回、場合によっては二、三回通ってきてましたが、土日に訪問客が溢れて……というのを見た記憶がありません。
平日の朝10時~17時までは施設の掃除のため、某病院のリハビリセンターに移動しますが、そこに訊ねてくるのは私だけでした。
「そちらのお父様はここの開設と同時に入ってこられたから出来ましたけど、幾つかの品物は貸与という形でお渡ししてるんですがもう足りなくて……」
「えーとじゃあ、歯ブラシ以外のコップとかも?」
「お願いします、食器類は特に細かいだけになかなか」
使いかけの入れ歯洗浄剤、半分残ったインスタント&粉引きのコーヒーも、入院前からちょっとずつ食べていた袋入りミニ羊羹の残りとか「欲しい人がいる」ということで、結局私がそこから持ち帰ったのはテレビとDVDデッキ(これはテレビはヘタをすると生活保護の対象外になる&VTRデッキぐらいしか使わない人が多いので要らないとのことでした)とアルバムぐらいでした。

最後に施設を後にするとき、施設の人が
「あなたのお父さんは幸せだったですよね。毎週あなたが見舞いに来たし、買い物もしてくれてたし、最低でも月に一回は外に連れて行ってくれてて」
としみじみ言われました。
親を施設に押し込んだという罪悪感と、その前後のドタバタで仕事のリズムを完全に崩されて大変な事になっていた私は、それだけでもありがたいと思ったのを覚えています。

それから3年近く。

10月の国家予算削減と、制度改革のアオリを受け、さらに職員の不足でその施設の存続が危ないという話を風の噂にききました。

そして、この話をTwitterに細切れにあげたところ「自分も親の時に同じことをした」という方々、「職員だけどうちの職場もそういうことは珍しくない」という方々からお返事を頂きました。
これは所得の低い沖縄だけじゃなく、日本全国で起きつつある現象のようです。
20年前祖母が他界したときはもっと手厚い福利厚生や医療保護があったと記憶してたのですけれども、国家財政の事情もあるのでしょうが、色々変更を余儀なくされ、福利厚生医療介護に関わる人たち、それに頼る人たちは大変に苦しくなっています。

レディ・プレイヤーワンとパシフィックリム・アップライジングを観てきました(※パシフィックリム・アップライジング編)

「パシフィックリム・アップライジング」は前作が東宝と円谷特撮映画&テレビシリーズへのオマージュだったとしたら、今回は良くも悪くも完全に東映とピープロのアニメ&特撮テレビシリーズで、同時にエヴァンゲリオンをアメリカが実写化したら戦闘場面はどうなるかという予行演習にも見えました。
(以下はネタバレになるので読む方は反転してください)

とりあえず、決戦の地は地理的状況を見ても第三新東京市です(笑)
第三お台場(仮称)に立ったまま動かないイェーガーが一機いましたが、次回作は何とかしてくれるでしょう(笑)
今回ある意味敵が出てくる理由とかは、いかにも東映っぽいですし、初っぱなに出てきて後半大活躍するのはどう見てもボスボロット(笑)。
ただ、一機だけグレートマジンガーなのかしらと思っていたら実はブラックオックスでした、というのは楽しいサプライズでした。
あとガーディアン・ブラボーのマツモト14号っぽいのはなんでだろうと思ったら……等など、色々入っておりました。
イェーガーたちの共闘は「マジンガーZ」原作版に出てくるマジンガー軍団そのままな雰囲気で、これはこれで楽しかったです。
前作にあった重いモノをスッパリ棄てて、ひたすら明るく楽しくくすぐりの部分も多く……「東京」の場面でとあるものがちらっと映ったり、前作のイェーガーの拳がインテリアに当たるユーモアの拡大版があったり。
決戦場への移動手段はGガンダム最終回でロボジョックスでしたし、クライマックスへの移動手段は私らの世代にとっては「ジェットスクランダー出現以前のマジンガーZだ!」で、若い世代にとっては「フォーゼだ!」だったり。

ただ、それらを除くと、驚くほどキャラ立ちがなく、物語は観客にロボットバトルとBGM以外の高揚感や感情移入、モチベーションを与えてくれない作品です(これは110分の上映時間にまとめる際の大幅カットがあるから、とは思いますが)。

スクラッパーの製作者の女性キャラは後半「一癖も二癖もありそうだったけど大して何も行動しない」ほかのパイロットキャラ達に埋もれてしまうし、ジョン・ボイエガ演じる主役は行動のモチベーションが不明なままなんとなく戻ってなんとなく再びイェーガーに乗り、なんとなく最後「オヤジほど立派な演説は出来ないが」と前置きして演説して敵を倒す、という感じです。

無理やり「興行的配慮で」善玉キャラになるようにしか見えない財閥のお嬢様(あそこでお嬢様は協力者ということにして、スクラッパーに乗るのは制作者の女性キャラと最初対立した金髪の人であってほしかった)や、マコの戦死後、指揮をとる司令官代理もどんな人かよくわからないまま殺されたり「実は」で立ち位置を変えるので、盛り上がらないこと夥しい作品となりました。
決戦の地が日本、というのもタダの言い訳に見えるほど距離感が雑ですし(だから最初決戦の地は第三新東京市、と書いたわけですが)、ユニコーンを映すぐらいなら、日本側に伝説の機体となったジプシーデンジャーが修理保存(あるいは再建造)されていて、という展開がよかったと思います、ええ。
とはいえ、今回から完全にマイケル・ベイのトランスフォーマーよろしくフランチャイズで続編ガシガシやりますよ!という体制が整ったので次はどうなるのか、ここからどう盛り返すのか注目したいと思います。
あと、ヘルボーイさんは今回出ませんでした。残念。

見終わった後も基地内見物をして、変なノートを買ったりしてました。

「レディ・プレイヤーワン」と「パシフィックリム・アップライジング」を観てきました(レディ・プレイヤーワン編)

基地の中に「レディ・プレイヤーワン」と「パシフィックリム・アップライジング」を観に行きました。
英語のヒヤリングがまったく駄目な人間ですが、前者は原作を読み、後者は前作を見ているのでなんとか理解出来るだろうということで(笑)
「レディ・プレイヤーワン」はスピルバーグらしい手慣れた娯楽活劇で、原作の前半と中盤部分を大胆に省略して、未来社会のディストピア描写と主人公の底辺生活のところを削り、人死にも減らして、メインはVR世界における人死にのない大戦争&2時間あるDAICON4OPアニメ、に絞り込んだのが上手いなーと。
途中主人公たちが危機を切り抜けたり逆転したりする仕掛けに作る側にいる人間としては「えー!そんなヌルくていいの?」と思わないでもないんですが、そこはそれ、「何を見せたいか」がはっきりしているので、観客として納得は出来るという。
あと「VR内部の描写は未来社会なのにあの程度……ではない」という解釈はズルさと上手さの中間で、この辺は脚色の人とスピルバーグのセンスなんだろうなあと。
ただえーとですね、とりあえずですね。あれだけ予告等々で期待させてたガンダムに関しては言いたいことが山のようにあるんですがそれはまた公開後に(笑)
個人的に原作との相違で一番残念だったのは、「仕事をえり好みしないキティ姐さん」を保有するサンリオは当然ながら、東宝とサンライズとバンダイの版権は説得出来ても、「義理欠く恥欠く人情欠くの三角マーク」な東映は難しかったのねえと。
原作通り量産型エヴァ軍団とミネルバX、レオパルドンは出して欲しかった。スポーンも出たのに!
あと、クライマックスの重要アイテムはこれでした。