承前

沖縄の放送局は95年のQAB開局まで、民放二局のみであった。
が、実際には80年代の国土交通省のお声がかりによる情報格差是正政策の始まる前、米軍政権下の1960年代から「第4の放送局(※米軍統治下においてはNHK沖縄はOHKという民放であり、当時のNHKの番組にCM(!)が入っていたことは当時の証言でも明らかである)」として「日本テレビ系」を推す勢力が県内政財界には多く、DNRTV(大日本琉球テレビ)という、当時の統治者である米軍政府が目をつり上げること請け合いの名称まで申請されていたことは、今は歴史の彼方に埋もれている。
沖縄テレビでも、琉球放送でもなく、本土の大手某ゼネコンであったとも、九州の大物政治家の実家である財閥が金を出そうとしていたとも言われる。
が、この「第四のテレビ局=DNRTV」に関しては「RCコーラ事件(騒動)」と並んで、いつの間にか歴史の彼方に消えている。

私の母方の叔父にあたる人は、無くなった名アナウンサー仲地昌京氏と同期であり、琉球放送創立のころからの初期メンバーでもあった人であったが、このDNRTVに関しては語っているところを見たことがない。

 DNRTVに関しては那覇市の国場にあった石油備蓄基地近くに三階建ての豪華な庁舎を作るところまではいったという説と、小禄の具志に、バラックのような平屋の建物があっただけという二説がある。どちらにせよ本土復帰から半世紀が経過し、実際を知る人は殆ど鬼籍に入られた。

 私としても「琉球警察」とならんで、米軍統治下沖縄ならではの存在として、消えてしまったテレビ局の話を掘り下げたいと思いつつ、上手くいかないまま今日に至る。

 状況が変わったのは今年の正月を過ぎてからだ。

 知人の二次元=サンが身辺整理をはじめ、亡くなられたお父上の「付き合いで買った怪しげなハードカバー本」を何冊か送ってきてくれた。
 二次元=サンのお父上は地域の所謂「名士」の一人で、ご存命中は中小企業の社長から「調停役」として頼られるほど顔も広く、面倒見もいい人であり、それゆえに多少怪しい本でも思想の左右を問わず「○○さんが出したなら」と必ず買ってくれる義理堅さもあったそうで。
 もっとも、それを全部読んでいるというわけではないし、この手の「社長さんが出した本」は相手の事務所に置かれてるだけで出した方は満足してくれる……そんなわけで、亡くなってからも結構な数がまだあるのだという。

 とはいえ、送られてきた本の厚さと重さは予想外のものだった。

 こちらが予想していたよりも遙かに大きくて重い本の塊を貰ってさてどうしたものかと途方に暮れ、それでもめくってみよう、写真に取り込んで後で拡大して読もうとか思ってぱらりとめくってみると、とある一札の本の間から、薄汚れた封筒が出てきた。
 ボロボロになっている上、身元確認ができない方のお名前もあるので写真は控えるが、それにはこう書かれていた。
「○○商工会、○○様、沖縄ソフビロボット依頼関係・DNRTVハマガワ・○○拝 1985年4月1日」と昔のマジックで書かれた封筒には、随分変色した企画書がふたつ、入っていた(※確認したが宛名の○○商会も○○様も、二次元=サンのお父上には関係が無かった、差し出し人の名前のうち、二人目を伏せ字にした理由は70年代編で説明する)。

 最初は二次元=サンの悪戯だろうと思って連絡を取ったら、亡きお父上の本棚から引っこ抜いてそのまま段ボールに詰めたため、中身の確認はしていなかったらしい。
 なお、二次元=サンのお父様は面倒見のいい人で、付き合いで高額な本を買わされることもよくあったらしく、送られてきた本はそんな「お付き合い枠」の中でもかなり「あやしげ」な本を「積んでおく棚」から抜かれたそうだ。

どれくらい「あやしげ」かはご確認してほしい。

一つは1965年、もうひとつは9年後の1974年に出された物だ。
5年の時間差がある企画書がなぜまとまって、東京の下町の、それも二次元=サンのお父上の手元に来ていたのか、何故それが本と本の間に挟まれていたのか、については「古本にはありがちなこと」としか言い様がない。

ホチキスの留め具もさび付いて居る所を見ると、大分後になって別の所からこの本の間に移されたのであろう。

とりあえず、読んでみると、65年の手書きの企画書も、74年の企画書も、「実写」によるオリジナルロボット特撮シリーズのもので、驚いた。

社運を賭けた大人向け特撮アクションドラマ「マイティジャック」の失敗の引責という形で、円谷プロの金城哲夫氏が沖縄に戻ってきたのは1969年。
その四年前にロボットものの企画が存在し、それが金城氏が沖縄に戻ってきた翌年にリニューアルされて再提出されていた。

企画者と文芸担当は双方共に、安謝牧志と濱川幹雄という人物。


安謝牧志、という人物には心当たりがあった。

00年代に亡くなった、ドイツ語の教授であり、私の運営する「オキナ琉球文庫」の第一作「塔を行く者」の元になった「知盗者ログ」を翻訳した人物である。
ご遺族に連絡を取ったところ、確かに60年代の半ば、外国語ができるからということでNOTVの立ち上げに関わっていたらしい。
「ええ、父はDNRTVにいました。最初は大学教授になる前ですから準備段階の最初から3年ぐらい勤めて、次は2週間で辞めました」

設立されなかった放送局に二度勤めたというのはどういうことだろうか。

「DNRTVは設立前に2回潰れてるんです。最初は65年の4月中旬、出資者四人のうち三人が暴力団抗争の流れ弾で殺されて。二度目は本土復帰直前の74年の暮れに、DNRTVは出資者が予定金額を出せずに空中分解し、それっきりになった、と聞いています」
と電話口で答えてくださったのは安謝牧志氏の長男のAさんだ。

Aさんに、ふたつの企画書を見て貰った。(於・沖縄タイムスカルチャーセンター)

「この、古い方は記憶にありますね。書き込みは多分、父のものです。読みにくい字ですよね(笑)」
 と、難読だったロボットのデザインへの書き込みを、Aさんは解読してくれた。
「これは確か、DNRTVの企画室にいた、父の大先輩に当たる人が文芸をやる、ということで協力したはずです。父もSF……当時は空想科学といってましたが……が大好きですから、乗ったんでしょう。DNRTV時代、殆ど仕事の話は家でしませんでしたけど、これだけは私に企画書を見せてくれましたね……当然、左の鉄人っぽいほうが格好いいと言ったら『そうだよなあ』と笑ってました」

そして、驚くようなことを教えてくれたのである。

「この企画書、結局モノにならなかったと思いますよ。DNRTVはこの(『無敵科学大鋼人』)企画書を出した翌週には解散が決定しましたから。父はとても残念がってました」
「70年代にも一度DNRTVの話が復活して、父もまた呼ばれましたけど、あのときは二週間で話が終わったんじゃないかなあ。もう二度目は詐欺寸前の貧乏所帯。最初(60年代)の時は結構大きなところがお金を出してくれて、新築のピカピカなビルとか借りていたのが、二度目の時は掘っ立て小屋で」

 ビルの時代には一度、Aさんは父である安謝牧志氏に連れて行ってもらったという。

「たしか、この写真に写ってる人形、ソフビになってたんじゃないかな。幼稚園の私と同じぐらいの大きさで、父の仕事場である企画室に入ったすぐ目の前に台座付きで飾ってあって、『欲しい!』と言ったら『そのうち買ってやる』って笑ってました。あ、もちろん左の奴です」

 それは驚きである。一個だけとはいえ、幼稚園児ほどの大きさのソフビ人形を試作させるほど、安謝牧志氏は企画に入れ込んでいたのだろうか。

「多分、作らせたのは父では無かったと思います。父は派手なプレゼンを思いつくような外連味のある人でも、オモチャに興味がある人でもなかったし、交友関係にも製造関係の人たちはいませんでしたから」

 70年代の企画書については見覚えがない、とはっきり告げていた。

「父は二度目の時は、建物を見て大分がっかりしてましたね。その頃にはもう、大学の仕事は始まってましたから、『詐欺師にはなりたくないから三つ企画書を作ったら辞める』と言って、その通りに逃げ出したと母から聞いています」
 つまり、この二つの企画書はどの時代にも、テレビ局の会議にすら掛けられなかった、ということになる。

 以上の事を踏まえた上で、企画書の中身を見て頂きたい。

 まず「琉球科学無敵大鋼人(仮)」から。
(※以下の画像には手書き文字を活字に直したものを横に添付しておく。なお、誤字脱字はママとした)

「琉球科学無敵大鋼人(りゅうきゅうかがくむてきだいこうじん)」

表紙のロボットは60年代末に当時の怪獣ソフビブームを当て込んで設立され、数年で倒産した、那覇市の牧志、今のジュンク堂裏手にあった「琉球玩具(末期は大琉球ソフビ玩具)」の試作したもので、合成写真は単なる切り貼りと思われる。

70年の「カラテダー」と違い、こちらに書き込みは殆ど無い。

企画概要と、大まかなあらすじ、そして登場人物紹介。

宇宙人(タックルスー星人、という名前のセンス……)の侵略に、姉が聞得大君(琉球王朝におけるユタ、ノロなどのオカルト関連の頂点、血統ではなく「選ばれ」るという特異な存在。明治維新以後は空位のまま)の生まれ変わりであり、彼女が蘇らせた古代琉球王国の時代に残された巨人を、米軍の科学力で強化改造して立ち向かう、という辺りに米軍統治下時代ならではの配慮がうかがえるが「アメリカ軍がナチスから奪った技術を元に」というところが反骨精神に……というわけではなかったことが後で判る。

ともあれ、主人公アキラが少年で、衣装は背広、というところも含め、大分「鉄人28号」を意識した作品であったことは間違いない。キャラクターの配置はほぼ「カラテダー」に引き継がれる。

主人公の名前が一時ゴウケンだったらしく、最後の所の主人公名が「ゴウケン」のままになっているのはご愛敬というところか。

 主役ロボと敵ロボの写真が掲載されている。恐らくソフビ用の蝋型(ろうがた)に着色したもの。
 完全に「鉄人28号」とそのライバル「ブラックオックス」のパチモンである。
 さらに「科学無敵大鋼人」はともかく、ウシエテル(沖縄方言で『(人を)舐めている、小馬鹿にしている』の意味)、シナス(『死成す』=殺す、の意味)というネーミングセンスが頭痛を誘うが、名称とデザインはともかく、造形そのものは当時のものとしては驚くべき程完成度が高い。

 着ぐるみを意識してるのか、実写版鉄人28号(この5年前に放送されたテレビ版)と同じく、ずんぐりむっくりの胴長短足をイメージしているのが正直だが、左のいかにもヒーロー然としたロボットは「鉄人に似過ぎ」「頭のデザイン一考」という書き込みがあり、右の、通常なら悪役になりそうなロボットに「部長はこっち」と大変読みにくい書き込みがされており、この企画書唯一の書き込みとなっている。

 これは当時のものだと私は最初、思い込んでいたが、どうも違うことがAさんからのお話で判った。
さらに、この読みにくい字を安謝牧志氏書くようになるのは腱鞘炎を患った80年代以降だという。

 企画意図と制作工程、予算の項。

 企画意図として上げられている内容に米軍犯罪が今とは比べものにならないほどに多発し、死者も多数出ていた時代背景が読み取れる。

 また地産地消で終わらせず、本土のテレビ局に売り込む、という希有壮大なところがこの時代にあったというのは驚くべき事ではないか。

 15分ドラマにも関わらず、予算は合計費用13万ドル(1ドル360円の時代なので4億6千800万!)、当時の物価を考えると大予算だが、まだ沖縄を統治していたアメリカ軍政府からの費用調達を予定し、新進気鋭の放送局の人材育成費用も兼ねているということがさりげなく書かれているのは当時の沖縄人らしいしたたかさ、というべきか?


 令和の古い特撮オタクとして軽く驚くのは、円谷プロや東宝、東映ではなく、ピープロに協力を仰ぐつもりでいたというのは先見の明なのか、低予算で効果的な特撮を作っていた部分を見抜いてのことか。

 また、衣装や劇中車両の提供を地元企業に委託すること、漫画版(コミカライズ)を地元漫画家の卵たちに依頼し、その販売を当時は一大ジャンルであり、地元娯楽の頂点でもあった沖縄芝居から人員を誘導、奥武山運動公園のあたりをオープンセット込みのロケ地として指定しているのは当時の風景を考えると納得できる。

 ページは続き、広告費用による費用回収のページへ。

 のっけに大きな文字で、「お金は大事です」と書いてあるのが、予算の巨額さを理解していないわけではないんですよ、と声高に主張しているようだ。


 ロボットの原型を作った「琉球玩具」との提携はこの時点で半ば決められていたらしい。Aさんが見たという巨大なソフビ人形はそんな理由で試作されたのだろうか。
 またテレビが高価だった時代、宣伝媒体として地元新聞二紙に漫画連載を行い、単行本化まで考えていたのは先見の明であろう。
 だがこの時点で、今や当然となった「地元でしか買えない」ということを前面に打ち出す、というセールスを考えていたというのは興味深いが、当時の沖縄旅行はかなり高価で、こういう考えはむしろ「損をする」と思われたのではなかろうか。
 会議に掛けられなかったのはむしろ幸運だったかもしれない。

 ところが、間違いなくその後、誰かがこの企画を再起動させようと、東京に話を持ち込んでいたらしいのである(この企画書に80年代以後の安謝牧志氏の筆跡があること、70年のほうの企画書の表紙に大きな赤字の「ボツ」の書き込みがあることでも、それは明らかだ)
  

 これは、どういうことか。

 Aさんと別れた翌日、電話があった。

 あれから安謝牧志氏の遺品の名刺入れを整理したら、文芸担当の濱川幹雄(ハマガワ・カンユウ)氏の名刺が出てきたという(以下、70年代編に続く)

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※今日は4月1日です。