9月6日に知りました。
巨きな漢でした。
優しくて、ユーモアがあり、人なつっこくって誰とでも友達になる。絵も描けば造形もする、模型も作る。格闘技、ゲーム、歴史にも造詣が深く、親切で、私なんかを先輩扱いしてくれる人でした。
正直、今もどう受け止めていいのか戸惑っています。
彼の死を知ったのは夜になってからでした。
「あそびにいくヨ!」がアニメ化された時、記念で即金で買ったスクーターももう14年。あちこちガタが来て、とうとうバイク屋さんから「運転に支障はないから部品を取り外すだけにして、あるいはその機能は使わない、ってことで放置しましょう。修理するともう一台買えるお金が出ていきます」と言われるようになりました。
業務用なので、10年持ったのでしょう。100キロ越えのデブを乗せて、それだけ持てばいい方です……が、今はとても豊かとはいえない経済状態。それ以前にこれを最後のスクーターにして、以後は車の免許を取って車持ちになるはずだった夢何処。
散々苦労して工面したお金を持って、新しいスクーターの代金を納めて、色々相談もし、家に帰ってひと息ついていたら「B.Lさんを偲ぶ会」というX(Twitter)のスピーカーが立ち上がってて、人のいいB.Lさんがまた誰かにイジられてるのかしら? と思ったら、知り合いの数名が彼の絵を引用RTしていて。
ご本人のアカウントに飛んだら、ご友人のふぢまるありくいさんが代理で彼の死を。
9月2日。腎不全による心筋梗塞。
享年49。
これまで同年代、年上の友人、知人を失ったことはありましたが、年下の、それも私よりも遙かに長生きしそうな人物が亡くなるのははじめてでした。
去年、彼の好きな大河ドラマ「黄金の日日」の全話DVDを家の整理を兼ねて差し上げたのが最後の直接のやりとりで、それもDMによるものでした。
体調が優れないとは聞いていました。元々沖縄の、勤務のハードさで知られる某印刷会社で酷使され、一度ならず倒れ、意を決して職を辞して東京に渡ってからも路線補修の仕事などで昼夜が逆転し、嫌な上司や同僚もいて、体調も悪くなったから仕事を辞め、透析を受けるかも知れない、と。
でも、学生時代ラグビーで鍛えた身体は頑健そのものでしたし、ちょっと心がけて稜々すれば、私よりも遙かに若くて心根の真っ直ぐな彼ですから、徐々に回復して、今年の末ぐらいにはまた元気を取り戻してるだろうと思ってました。
つい数日前まで元気に投稿し、いろんな人と話をしてて、だから、こんなことになること自体、信じられないでいます。
人の死に意味は無く、永遠のオフスイッチである、というのがこの手で両親祖母の最後を直接看取った私の身上ですが、B.Lさんにはせめて「あの世」があってほしいと思います。
あっちには彼が尊敬する、あるいは大好きでたまらない人たちが一杯いるでしょうから。
時間があるし「心の師匠」の人も彼のことです、きっとすぐに友達になってくれるでしょう。
もっと絵が上手くなりたいと口癖のように言ってた彼です、きっと向こうでもお絵かきしてるでしょうし、マンガ描いて、メタルフィギュアを塗って、造形して、格ゲーなどのゲーム系もやりこんでることでしょう。
彼からはもっと聞きたいことが一杯ありました。
格ゲー全盛期のゲームインナハのこと、インナハの主だったという老婆の話、TRPGにハマった頃の話、格ゲーのプレイヤー達とのお話、ヤクザにヤンバルの山奥に連れて行かれて「拳銃を撃て」と脅されたときの話……もっと深く聞いてみたかった。
とにかく、今はただ、黙祷のみです。