去った4月4日にSF作家の山本弘先生が亡くなったと公式発表がありました。
亡くなられたのは3月29日。享年68。
山本弘先生に関しては、「サーラの冒険」に一番強い影響を受けました。
「冒険者」という、現実味がなく、曖昧でぼーっとした勇ましい人々に「そういう商売をしている人たち」という側面を加えることを教えて貰いました。
他にもハードSFを次々世に送り出すと同時に日本のファンタジーの世界に「生態学」を埋め込んだ重要人物でもあると思います。
「人よ、科学よ、SFよ、優しく、楽しく、正しくあれ、そのために常に烈しくあれ」
という想いがどの作品からもあふれ出ている、そういう作家さんでした。
一般向け小説に活動の軸足を移し「MM9」やその他の作品群のメディア化による露出よりも先に、「と学会」の活動で広く世に知られたのは、物書き商売としてはともかく、小説家としては大変な不幸だったと思います。
「と学会」の仕事の反響が大きければ大きいほど、山本先生個人の創作物は遠くに置かれてしまった感がありました。
さらに会の重要人物の盗作問題に対する対応は、あれだけ「正しくあれ」と自他共に厳しく律している人でさえ、迷い、孤立してしまうのだという現実の難しさを表していると思います。
私自身の話としては「あそびにいくヨ!」がアニメ化された時「あれをSFと作者が自称しないのは……」というお話をどこかでなされていて、SFファンダムの旧弊さにウンザリして距離を置き、SFを書いてますとは滅多に自称しない身としては「SFと名乗らないと偉くない、というところが苦手でそうなのってないんですよ」と思いつつ、ほろ苦く笑うしかなかったのも懐かしく。
また、「ウルトラマンティガ」の最終回の展開(市民が倒れたティガのカラータイマーに懐中電灯などの様々な『光』を持ち寄って照射し、復活させる)を「ご都合主義だ!」と「SF的に正しくない」とお怒りになられたりするような、「SF的正しさ」の追求が激しい方でもあり、その「正しさ」の方向に、時折首を傾げたのも事実です。
それでも作品は好きでした。多作な方でもあり、落ち葉拾いのように作品を追い続け、いつかまた追いつくかな、と思っていた矢先の訃報でした。
本当に、脳梗塞という不幸な病さえこの世になければ、68歳どころか、86歳を越えても元気に活動なさっていたのではないかと思います。
ただただ、今は黙祷を。