格好いいお兄ちゃんがおりまして

子供の頃、みっともないけど何とも格好いいお兄ちゃんが、ブラウン管の中におりました。
愛想が良くて下手だけどお喋りで、不器用で、どこか寂しげで。
長い髪を振り乱し、人の為に走ったり飛んだり、悪い人を殴ったり殴られたり。
みっともないけど一生懸命で、何よりもその細い身体は格好良かった。
あんな風になりたいとは思わなかったけど、ああいうお兄ちゃんがいてくれたらいいだろうなあとよく思っておりました。
そのお兄ちゃんは気がつけばチンピラに刺し殺されたり、言いように大金持ちの悪いマダムの手先になったりしてました。
ある日、テレビをつけると、お兄ちゃんは髪をバッサリ切って、口数も少なく、ただひたすらに仕事をこなす職人さんになりました。
それまで「ショーケン」と呼ばれていたそのお兄ちゃんは、それ以来「萩原健一」という本当の芸名で呼ばれるようになりました。
段々かつての愛想の良いお兄ちゃんは消えていき、いつも唇を引き締めた、おっかない俳優さんになっていきました。

それでも何処かでぶっきらぼうながら以前の優しい顔をして、強盗のプロから足を洗って豆腐屋の婿養子になったり、やっぱり強盗に戻って木村一八と殺し合ったり、明智光秀になったり、徳川家綱になったり、あるいは記憶だけを頼りに料理を作る職人になったりもしていました。

拳銃はコルト・ガバメントが好きで、初めての主演ドラマではどうしてもガバメントが使いたいと小道具さんに無理をいって、それっぽい特注の電着銃を使い、アクション映画で銃を抜く時は大抵、ガバメントでした。それもシリーズ70、メダリオン無しの木製グリップという素っ気ない仕様の。

実はもうひとり、浅黒い肌でジーパンや黒いスーツとサングラスが似合う格好いい、忘れがたいお兄ちゃんがいましたが、そちらは外国に羽ばたく前に呆気なく世を去ったので、このお兄さんはもうひとりの分も長生きして、いろんな顔をこれからも見せてくれるんだろう、と思っていたんですが。

かつて、子供だった私がもう50のオッサンなんですから、あの頃のお兄ちゃんたちは世を去っていくのが当たり前とは言え、少々寂しいのが続きすぎる気がしますねえ。

遅ればせながら、グリッドマンを観ましたよ。

この所ドタバタしている人生最悪のクリスマスを何とか凌いでいたので、途中で止まったままの「SSSS GRIDMAN」をようやく最終回まで観ることが出来ました。
かすて「宇宙空母ギャラクティカ」が「バトルスター・ギャラクティカ」になったとき、戦争ドキュメンタリーと911によって変わったアメリカ人の「敵」への認識や湾岸戦争、という現実、フィクションではTNG、24などの「最終回のある連続ドラマ」の爆発的ヒットを背景に物語をリデザインしたように、実写特撮ドラマをどう今にリデザインするか、という意味でとても注目していたのです。
80年代の特撮ヒーロー(しかもウルトラマンと違い、当時はヒットしたものの現代から観ればシリーズが今継続していないがために、マイナーに入ってしまう作品)を今にリファインするとき、どうするんだ、と思っていましたが、作品の「核(あるいは物語や演出の基本フレーム)」に気取りやてらいなく、皮肉でも単なる真似なく、真っ正面から「新世紀エヴァンゲリオン」を持って来て、「電光超人グリッドマン」と「新世紀エヴァンゲリオン(TV版から最初の劇場版三部作まで)」を融合して独自のセンスで再構築した、という感じで、とても楽しみながら一気に最終回まで観ることが出来ました。
「来るだろうな」と思いつつもやはり「夢のヒーロー(特撮版主題歌)」がかかってグリッドマンがお色直しするのには涙が。
1クルールという短さから、どうしても「もう少し長回し(話数をかけて)で描いて欲しかったなー」という部分もありますが、その代わり物語のテンポの速さと何処へ行くのかというワクワク感が加算されておりました。
何よりも英断だったのは「まるっきり実写版を無視して再構築する」ことを選ばず、緩やかながら実写版(原作)との繋がりをキャストだけではなく物語に出てくるシステムや台詞、場所、ギミック、ガジェットで示したことでしょう。
21世紀中学生同盟(笑)や怪獣少女はその好例ですが、同時に全部出すのではなく一部改編して(アンチは恐らく唯一登場しなかったグリッドマンのアシストウェポン、ドラゴニックキャノンの置き換えではないでしょうか)出すというのが素晴らしい。
しかし、てっきりアレクシスさんはカーンデジファーの切れっ端だと思ってたんだけどなあ。あとハヤタ現象と「1話が始まる前に六花に何を話していたのか」は最後まで謎、とか上手いなーと。
同時に個人的には創作世界の「神様」の話は身につまされるというか、まあ私なら怪獣作り続けちゃうよなあとか思ってしまうのは私が40も終わりだからでしょうか。
ああ、現実逃避がしたい。
そして、何よりも興味深かったのは「この世に神も仏も無い」「夢も希望もなく、ヒーローなんていない」と世界と社会に鍵をかけることを是としたいわゆるセカイ系の扉を「ヒーローはいると信じる」という物凄く単純な鍵で開けてしまったこと。

そういう観点から見ると、この作品はエヴァを見て、憧れてきた子供たちへの、恐らく最初の成果物でしょう。
さて、この先に何が出来上がっていくのか とても楽しみで、感慨深いです。
とりあえず作ったスタッフ、キャスト、そして太っ腹な円谷プロに祝福を。