那覇市の模型屋さん「みぶろやさん」への行き方

というわけで電動スタビライザーを導入しました。
これです

上下振動はさすがに完全吸収とは行きませんが、お値段以上の優れものだと思います。

那覇市は一時模型屋さんが壊滅状態にあったんですが、今は何軒か復活しております。
そのうち一軒「みぶろやさん」への道順。
国際通りに面したいい立地なのですが今ひとつわかりにくいらしいので。

今見返すとすぐ右手にある階段を降りたほうがわかりやすかったなーと思いますがそれはまた次の動画で、ということで一つ。

みぶろやさんホームページはこちら→http://www.mibro83.jp/

昭和までのデマ

インターネット時代で一番有り難いのは確かな情報源を確保した人と知り合いになれることです。
私の知り合いの中で特撮ドラマに関しては、漫画家の蒼沼シズマ(こしじまかずとも)先生に勝る知識と情報を持っている人はいません。
この前も、「ザ・カゲスター」に関して長年「?」のついていた情報に関して正しい応えを頂きました。

実を言うと、私にはこの手の「間違った噂話」や「歪んだ豆知識」が結構昭和の時代に蓄えられている部分があって、暇を見つけては最近、インターネットで尋ねたり調べたりして情報を更新しております。
なんでこんなことになるのか?
昭和が終わるまで、沖縄と本土は(移動にかかる金銭的な意味でも)遠かったので、情報が半年遅れたり、本土に行き来出来る人の都合のいいようにオモシロおかしく歪められたり、というのはザラでした。SF大会やコミケに毎年行くだけなのに「私は○○社の編集さんと仲がいいから作品を見て貰った、すぐにでもデビュー出来る」と10年ぐらい言い続けて、最後は友だちのお金を盗んで消えちゃったひともいました。
彼もしくは彼女らの言うことが全て嘘だったわけではありませんが、彼ら自身も本土で根も葉もない噂や嘘を教え込まれて、それを事実だと思って戻ってきた、なんてことはあったと思います。で、そのデッドコピーのコピー知識を私が持ってる、ということも多々あるわけで。
そういえば最初のエヴァンゲリオン劇場版のとき「本当はあの作品はあと90分ある。庵野監督の完璧主義で完成後にカットしてしまうことになった。自分はその完全版のビデオを専攻で見せて貰い、ダビングして持っている」という人がいたので、毎週のように彼の所へ通い「どう?」と尋ねた所、三回目か四回目で、適当に携帯電話を開いて嘘の電話をかけるフリをし「テープが絡まって駄目になった」と言いわけした人もいました……まさか毎週数十キロ離れた所からやってくるバカだとは思わなかったんでしょう。素直に「いやあれジョークだよ」と笑ってごまかせなかったところがその人の純情さというか、愛嬌だったのかも知れません。
それとは逆に、インターネットの中で「なかったこと」にされる情報もあります。
昭和の時代、藤岡弘は仮面ライダーの話はNGで(事務所の方針か、本人のかは不明)それ故に各種ムックに彼のインタビューは載ってなかったとか、1stガンダムのブームは女性がメインで引っ張っていたとか、セーラームーンは放送当時ちゃんと対象である低年齢層の女性児童に絶大な人気を得ていた、とか。
まあ、話を歪めるのは大抵「そのほうが今目の前に居る観客に受けがいい」ということなんで、悪意はないんでしょうが、同時に善意もない話で、そこはちゃんと修正して記憶、ないし記録に留めておきたいところですね。

6月に上京してました

色々ありまして、緊急で東京に上がっておりました。
まあ、ついでだからということで色々撮影してみましたがやっぱ色々難しいですね。
これを気に電動スタビライザーを導入することにしました。

ちなみに購入したのはこれです。次からの動画で活躍して……くれるかな?

牧志第一公設市場が建て直しになります

那覇市民じゃないとピンと来ないと思いますが、牧志第一公設市場が半世紀以上に及ぶ営業を一旦終了し、現在の建物を取り壊して立て直すことになりました。
で、営業終了二日前に、ふと思い立って撮影してくることにしました。
以前はJALホテル裏に住んでいたこともあり、また祖母が周辺ではたらいていた上に母方の本家もあったので、公設市場は庭の一部みたいなものでした。
子供の頃は偉く広く感じたものの、今となっては狭いのがわかりますし、建物も老朽化してますから、仕方ないんでしょうね。
動画でもあるように、ここへは00年の沖縄コミケスペシャルの時に来られた方々と一緒にお食事をして「沖縄の何処がユニークなのか」を教えて貰い、ここを拾って書けばいいのか!と気付いて「南国戦隊シュレイオー」が生まれ、最初のヒット作にしてアニメ化もされた「あそびにいくヨ!」が生まれました。
なくなるのは寂しいですが、新しく生まれ変わった公設市場もまた繁盛するといいですね。

「警察庁私設特務部隊KUDAN」の大きなミスについて

お疲れ様です。

警察庁私設特務部隊KUDANですが、今とんでもない間違いを見つけまして。
のっけから主人公の乗る、日産のローレルをホンダの製品として記しております(汗)
これまでもいくつかの誤字脱字、小さなミスはありましたが、まさかこれほど大きなミスがあろうとは思わず……。
なんとも締まらない話ですが、校閲の時に指示されて直したつもりが、どうも指示を入れ忘れてたみたいでして……再版時には必ず直しますので、どうかどうか、ご容赦を…

新作「警察庁私設特務部隊KUDAN」に登場する「P2」あるいは「無点の人」について

このところ、シリアスな話は避けてるんですけれども、「カミカゼの邦」や今回出る新刊「警察庁私設特務部隊KUDAN」はこれに絡む話なので、一応、個人的見解を述べさせていただきたいと思います
この所「無用者階級」とイスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏が予言した進歩や進化の列車に乗れない人たちの前段階にあたる人たちの起こす犯罪、あるいはその犯罪を予測して防ぐ為に家族の起こした悲しい犯罪が世間を賑わせています。
かつて30数年前、世界経済において裕福なG7と言われていた国は今2019年の段階でG20にまで増えています。
G7の国々の人々は裕福な富を惜しみなく周辺諸国に分け与えてきました。
結果後進国あるいは第三世界と呼ばれていた国々は発展し裕福になりました。
しかし富は有限です。
結果、G7と呼ばれていた国の国民たちは、ゆっくりと富を失っていくことになりました。
その代わり、G7がG20になるほど、世界の貧困は失われ、国連によると2025年までに「深刻な貧困国」と定義されものは地球上から消え去るだろうという予測さえ立っています。
恐らくこうしたことで富の再分配が行われ、我々は少し貧乏になる代わり、深刻な貧困に苦しんでいた人々はそれから抜けだし、最終的にはバランスが取れて終わるのでしょう……それがどれくらいの時間がかかり、どのレベルでバランスが取れるか、に関しては、さっぱりわかりませんが。
結果、現在その過程においてしわ寄せが、我々のような庶民の側に押し寄せてきているのは誰もが認める事実です。
将来、この状況を何とか抜ければ少しは楽になるかもしれませんが、その間にこぼれ落ちてしまった人たち、踏みつぶされていってしまった人たちはどうなってしまうのだろう。
4年前、父の看護、仕事の現状のことをしつつ「カミカゼの邦」を準備しながら、ふと、そんな疑問が浮かび、次第に私は自分の現状と照らし合わせ「今の場所からどこへも行けなくなってしまったまま、足下の崩れはじめた人たちはどこへ行くのだろう」と考えることが増えてきました。

だからカミカゼの邦もKUDANも「どこにも行けなくなってしまった人たち」の行く末を自分なりに想像することにしました。

その一時的な答えが「カミカゼの邦」に登場する貧侠とテンサンエンジェルであり、今度発売中の「警察庁私設特務部隊KUDAN」に出てくる「無点の人(P2)」になります。

物語の中で、彼らは主人公たちに倒される側の「その多大勢」の役ではありますが、実は彼らこそが作品世界の主役です。

彼らは決して特別な人間ではなく、どこにでもいて、ただ普段は認識されていない、自分自身、自覚もしていない、それだけなのです。

あなたや、私の可能性もあるのです

彼らは、事件を起こす時だけ、我々の前にいきなり姿を表すのではなく、何かを引き起こして後、マスコミの報道というフィルターを通すことで、初めて可視化されているだけに過ぎません。

この所、色々私生活や仕事でありまして、そのことを強く自覚しています。

ですから、私にとって彼ら……貧侠やP2(無点の人)という架空の名前を与えた人々は、自分自身の中にある恐怖と暗い予感に名前を与えて、切り離しただけの存在です。

先にも申しあげたとおりあなたや、私の可能性のある存在なのだと考えています。

願わくば、私の描く彼らの姿が5年10年20年経ってみれば、とてもヒステリックで考えすぎな妄想の類であったと、皆さんが笑って振り返っていただけるとありがたいなと、かすかな願いを込めて彼らを描いています。

警察庁・私設特務部隊KUDAN発売中です!

昨日から、徳間文庫さんより一般向け警察ものの新作「警察庁私設特務部隊KUDAN]を発売しております!

こんな感じで仮のPVも作りました。
今回は娯楽に大きく寄せて、神野オキナ版「ワイルド7」を作ったつもりです。
お楽しみ頂ければ、幸いです!

「幼なじみが反対しますが秘密結社を廃業することにしました」発売中です!

先月31日より「幼なじみが反対しますが秘密結社を廃業することにしました」が発売されました。

今回、書店店頭ではかなり入手困難らしいので、店頭でのご注文、ないし上のAmazonなどのウェブ書店での発注をお薦めいたします!

特務部隊KUDAN書影出ました!

そんなわけで「警察庁 私設特務部隊KUDAN」の書影が出ました!

いささかお高めの値段でありますがそこはもう、どうかお許しください。
ですがその分面白く出来上がっておりますのでどうぞよろしくお願いいたします!

今日はドラクエ一作目の発売日だったそうで

ドラクエと言えば思い出すのは、今は牧志公園というおしゃれで可愛い公園になってしまった「七つ墓(ナナチバーカー)」と呼ばれ、私が住んでいたアパート裏に広がっていたバラックと木造建築との間にあるような古い古い家並み。
その中のひとつに、M君という人が住んでおりました。
この辺の家並みに住んでいる人たちは、実は結構なお金持ちで、戦後の復興期に儲けたりした人たちがそのまま土地を買って住み着いたパターンでした。
当時は牧志の周辺は工場も多く、そこに直接出向いたりするのには都合が良かったんでしょう。
M君はそれとは関係なく、離島の人でした。
彼が住んでいる家は六畳二間ぐらいの平屋で、戦後すぐに建てられた代物。入ってすぐ4畳半ぐらいの庭(といってもコンクリートで固めた場所)の真ん中には木が生えていて、半ば建物自体がそれに寄りかかってるようなモノでしたが、実はこれ、離島への定期便なんかなかった頃、買い出し部隊が寝泊まりするための中継基地だったんだそうです。
だからMくんも、同居していたM君のお兄さんも実はいいところのご子息でした。
とても人柄が明るく、優しい性格の人で、同時に私と同じオタクでした。
高校は違っていましたが、共通の友人に引き合わせて貰い、家が近いこともあって、彼の家に私も一時期入り浸りになっておりました。
そこにはファミコンがあり、コンプティークがあり、PC9801がありました。
で、そこで生まれて初めてファミコンを弄らせて貰ったのが「ドラクエ」だったわけです。
とはいえ、まあレベル上げの最中でしたからちょっと五分ほど弄らせて貰った程度ですけれども。
それだけでドラクエの面白さなんか判る筈はありません。
でも貴重な機械を触らせてくれたM君の優しさと、プレイを教えてくれる嬉しそうな顔だけでいい気分になれました。
その後しばらくの間あの印象的なテーマ曲とSEを、彼の家に遊びに行くたびに聞いておりました。
M君の家はいろんな人のたまり場になっていて、そこで初めて私は自分より年下で色々苦しんでいる人や悩んでいる人たちに会いました。
私はどう対処していいのか判らず、ただ彼らを見ているだけでしたがM君は真剣に相談に乗り、時には叱責したり、励ましたりしていたようです。
同年代でありながら、知性だけではなく、器も大きい人というのに出会ったのはそれが初めてでした。
高校を卒業するとM君とお兄さんは私が別れを言う間もなく、風のように去って本土に移動し(工専に入ったと噂で聞きました)、M君の弟さんがそこに住むことになりました。
彼もまたオタクであったため、暫く出入りしてはいたのですが……こちらはM君と違って女性にもモテて、いつの間にか徒歩1分の家は縁遠くなってしまいました(ちょうどその頃、所属しているサークルと揉めたり、祖母が6年の寝たきり状態になり、亡くなるというドタバタの中にいたというのもあります)。
で、気がつくとM君の弟も家も、取り壊しになって、七つあった墓は移築されたか潰されたかして、小高い丘は削られ、今あるようなのどかな公園になってしまいました。
いまやドラゴンクエストと言えば、日本を代表するコンシューマーRPG、というだけでなく一つの文化を形成しています。
ファンタジー作品に与えた影響で言えば、指輪物語を凌ぐでしょう。なにしろ、ロードス島戦記よりも、スレイヤーズより早かったんですから。
何しろ堀井雄二といえば「オホーツク殺人事件」の人、もしくは月刊OUTの「ゆう坊のでたとこまかせ!」の人だったんです。
長い髪の毛をなびかせ、眼鏡を煌めかせた、いかにも育ちが良くて頭の切れる、でも楽しいお兄さん……というのが私たちの世代が知っている堀井雄二さんの当時のイメージ。すぎやまこういち、と言われれば「イデオン」でした。
ドラゴンボールはまだレッドリボン軍と戦ってるあたりのころ……いやまだ始まってなかったかな?
今でもあの音を聞く度に思い出すのは異様にすきま風が吹き込む、だけど暖かい雰囲気のM君の掘っ立て小屋のような家と、寒い土間のコンロで作った具無しインスタント鍋ラーメンの奇妙な美味さ、そしてそこにたむろしていた同年代、年下の少年達の顔です。そのうち数名は今でも顔を合わせますが、M君の行方は誰も知らないそうです。
とはいえ、きっと彼は上手くやっているだろうと思います。
今でもオタクであるんでしょうかね。
私が作家をやってるのは知ってるんでしょうか? 知っててくれると嬉しいですが。
高校の頃の知り合いは生涯忘れないと言いますが、行方を知っている人たちは半分もいません。
中には私の無神経さで遠ざかって言ってしまった人もいれば、私がその無神経さ、図々しさから遠ざけた人もいます。
これから先、どれだけの人たちにまた巡り会うのか、巡り会わないのか。
ただ、あの奇妙な、やたらと希望だけは未来に抱いていた時代が、しみじみと懐かしいと思える年齢にはなりました。