映画「ジョーカー」に関して思う二、三の事柄

ようやくひと仕事終わったので、映画「ジョーカー」に関することを。

一言でいえば「とっても良くできた娯楽作品で、とってもずるい映画」と言えます。

なにしろ今ハリウッドの大作映画とは真逆の「アメリカの本音と誠実さを語った時代」であるところのアメリカンニューシネマの名場面の再構成で映画を作ってるんです。

それはもう、最初に出てくるワーナーブラザースのマークが七〇年代のそれだというだけで明らか。

それを今の技術で撮影すればそりゃお手本がある上に、今の機材と演出で、しかもコミックのヴィランという「少し隙間があって、ヒーローじゃないから【かくあるべし】が少ない」作品では誉められて当たり前。そして私もそこは楽しみました。

でも、それ自体が罠です。ええ。正確に言うと「映画自体を幻惑させて責任回避するための仕掛け」なんだと思いました。

おそらく監督と脚本家とプロデューサーは、「近い将来、テロでもなく、思想犯でもなく、感情による階級闘争が発生する」と予測してこの映画を作ったのだと思います。

それがクライマックスの話であり、ジョーカーがそのアイコンになるのは、サムの息子やエド・ゲインがアメリカの悪趣味サブカルの中で有名人になり「ガンダルフを大統領に」と書いたTシャツを着た大学生が溢れるような「ワルノリ文化」の写し絵でしかない。

聞けば、デトロイトではお金持ちが城塞都市みたいな「お金持ちランド」を築いてそこで優雅に暮らし、庶民は放置されて警察の機能マヒが起こったり、「部族主義」が流行ったり……その挙げ句が今のアメリカ大統領なわけで。

世界の3%の富を独占する人間の殆どは「分けてなんかやるか」ということでトリクルダウンなんて夢物語だったというのは今の現状を見れば明らか。

となれば、主義思想ではなく「お前たちが持っているものが羨ましい妬ましい、俺達にも寄越せ」で、宗教でも思想でも経済でもなく、フランス革命以来の「モテるものが羨ましい、という感情と貧乏と飢えがもたらす市民戦争」がアメリカのみならず、世界規模で勃発するだろうという「予言の映画」を多分、制作者側は作りたかったのでしょう。

ですが、それをストレートに作ると間違いなくこの映画自体を「ご託宣」だと信じ込んで暴力に走る馬鹿が出てくる。

そこで、制作者が考えついたのが「七〇年代アメリカンニューシネマの再現で、挫折と過激と暴力が渦巻く作品」という「カバー」をつけて、なおかつスタンリー・キューブリックが「二〇〇一年宇宙の旅」でやったと言われる衒学趣味で映画自体を飾り立て「幾種類もの解釈が出来る」と嘯くことで「そう判断したあんたが悪い」と過激な行動に走った人々と自分たちを切り離す。という自衛策だったのだと思います。

正直に言えば『とっても小賢しい」映画です。嘘と現実とはワザと交錯させられ、アーサーという人物の悲惨な英雄伝なのか、ジョーカーという気の狂った悪党の嘯いた嘘の話なのか、どっちか判らないようにした「笑えない(笑わせない)コメディ」という非常に良くできた小箱に過激な「予言」を納めることで美味く「扇動する映画」の汚名を回避した、と言えるかも知れません。

それでもこれを「自分への啓示だ」と捉えて、貰っていた薬を棄ててしまう人が堂々と現れてしまう辺り、制作者は非常にクレバーだったと言えるでしょう。

感情移入させて「理解させた」と錯覚させる手法はアメリカンニューシネマのものを幾つも重ね合わせて作りでもいくらでも「これはアーサーと名乗る頭のおかしい人の作り話かもね?」という逃げ道を用意することで責任を回避しまくる。

私はカミカゼの邦を作る時、同じものを回避して(つまり政治的なメッセージと扇動を込めた作品として捉えられないように)、幾つもの仕掛けを作り、その中でも最大の「これは政治思想ではなく、一種の未来予測の提言ですよ」ということで作った「印」だったのが「紙の虎」というテロの主役の中途半端な無個性化、だったり、KUDANで同じ様な「無敵の人」の蜂起を「未然に防ぐのが主人公側」という形で「でも上手く行くわけはない」として現実と向き合わせた上で思想性を排除したわけですが、こちらは最初っから「コミックのヴィラン」という金看板があるわけですから、そういう風に「回避策」をとることは「コミックのヴィランに深みを増した」ということで誉められポイント、になります。

政治的な主張はそのままに、いえ、政治的主張をしているようにみえるようにも、してないようにも「とれますよ」として作品を世に送り出したようだと私は思いました。

実は「ジョーカー」には政治思想はなく、「こういう闘争が起こるかも知れないと僕は予測しますよ」というシミュレーションの結果報告に、ジョーカーというアイコンを載せただけの作品だったとも言えます。

今はセンセーショナルな作品として数年後は【予言した作品】という冠を貰うことを最初から狙った作品に私には見えました。

だからジョーカーの本名はこれまでと違ってジョーカーの本名はジェイソン・ネイピア(あるいはジャック・ネイピア)ではなく、アーサー某なわけで。

まあ、これも全て私の妄想かも知れません。

ただ、この妄想、これが当たっているとしたら、つまり最初からコミックのキャラクター映画をマーティン・スコセッシのような「世界の本音と建て前と現実を描く映画としてリアルに描く」という下駄を履いているのに、さらにお上品に回避策をとったと言える。

まあ、ここが小賢しいというかズルイというか。

とどのつまり、この作品はアメリカンユーシネマのいいとこ取りなカタログ作品であると同時にアメリカンニューシネマが持っていた誠実さ欠片も無く、ただ自己韜晦と未来の栄誉の獲得に終止した作品だったといえると思います。少なくとも私にはそう見えました。

本当にズルイ。

それでも、ホアキン・フェニックスはじめとした役者の演技は素晴らしく、撮影も演出も一流です。がこの作品自体は「予言の書になりたいが、扇動した禁書にはなりたくないという世渡り上手な優等生』作品だといえるでしょう。

ずるいよなー。

うちの「カミカゼの邦」や「警視庁私設特務部隊KUDAN」はその辺読者に嘘をつかず、誠実に娯楽として向き合いましたよ、ええ。
この「ジョーカー」には負けてません。

そして同じ「デーモンコア」をあの程度にしか扱えなかった相棒の今シーズンの初回二話よりも面白いと言えます(全シーズン合わせて、ではさすがに負けます、というか勝負にさえなりませんが!)

「警察庁・私設特務部隊KUDAN」重版決定しました!

お陰様で、今年の六月にでた「警察庁私設特務部隊KUDAN」が重版されることになりました。
書店が減り、必然的に紙の本の売れ行きも下がってきている現在。重版がかかるというのはかなり難しいことで、これも読者の皆様、書店の皆様のおかげです。ありがとうございました。
KUDANは現在二作目を執筆中で近々また発売日などのご報告が出来ると思います。
それでは、また!

Kindle Unlimitedに「カミカゼの邦」が登録されました

お疲れ様です。沖縄を舞台にした日中戦争に勝利し、戦勝国となった日本で動き出す大規模テロ計画。それに巻きこまれた六人の元軍人たちが戦いを挑む国際謀略アクション小説「カミカゼの邦」がAmazonの読み放題サービス、Kindle Unlimitedにも登録されることとなりました。ここでランキングが上がると紙の本のランクも上がるということらしいので、是非、クチコミで広げていただけるとありがたいです!

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