34年前の今日

世に言う日本航空123便墜落事故が発生しました。
この時最も大きく報道されたのは、犠牲者の中に「上を向いて歩こう」で世界的ヒットを飛ばし、低迷期を抜けて再び動き出そうとしていた歌手の坂本九さんがいたことでした。
実際にはWikipediaの記述を見ても明らかなように、多士済々、経済界から漫画業界にいたるまで様々な分野の人たちが犠牲者の中に含まれていました。
有名な人たちでさえそれだけ含まれていたわけです。無名と呼ばれるカテゴライズに入っている方たちの中にも、生きていれば名を成した……あるいは名を成さなくてもその人たちの周囲は各自に変わった人たちがいたはずです。
個人的に一番印象に残っているのは、雑誌「ファンロード」の常連投稿者で、ゆくゆくは本格的なプロデビューも約束されていた「緋本こりん」さん。
彼女がその犠牲者の中に含まれていたことが、翌月の「ファンロード」誌上で明らかになったときの衝撃です。
まだPCが作画に導入される日なんて夢のまた夢、アナログでの作業が当然の時代、「点描の女王」と呼ばれるほどの技量で注目を集めていた人でした。
常連投稿者から執筆者に格上げされ、その連載が始まる矢先の不幸でした。
その前年、漫画家のかがみあきら先生が急死し、その遺稿が掲載されたアニメックをめくっていると、最後のページに訃報が大きく一ページ丸ごと使って掲載され、「漫画家でも死ぬ(当時、トキワ荘メンバーは皆さんご存命でした)」という事実を突きつけられ、ショックを受けましたが、若い人でも、要因となる健康的なものがなくても死んでしまうことがある、という事実を、きれい事めいた、皮肉の言葉ではなく、リアルな「現実」として突きつけられたのはこれが初めてだったと思います。
当時まだ私は15歳。
自分が年老いることなど、夢にも思っていなかった頃です。
母の死を目の前にしていたとは言え、自分自身にまだ夢を抱いていて、それはいつか現実になると脳天気に信じ込んでいられた時代でした。
それだけに「死」が不意に訪れる現実を見たことは、今でも心に深く刻まれています。

また寸前でこの事故を回避し「幸運な人」と呼ばれた有名人の中にも、現在の視点で見れば、別の要因で十数年後に「若くして」と呼ばれる年齢で亡くなる方もいて、人の生き死にというのは本当に神様がダイスを振ってるんじゃなかろうかとさえ思えてきます。

そして私も生きてそろそろ半世紀、あの頃のように「好きなことだから何時間でも出来る」という集中力と体力を失いつつあるわけですが、生きられる限りはやれることをやらねばなあと思いつつ。今日も頑張る事にシマス。