八回目の311

3月11日が来ました。
黒い濁流が延々と田畑や道路を呑み込みながら進む姿を、翌朝の文字通り海岸線の形が変わった風景を、私は今でも忘れられません。
911の光景とは違い、これは「自分の国」で起こっている事実でした。

この日を境に、それまでは暢気な裏庭のプライベートステージだったTwitterは一気に拡大され、殺伐とした部分が大きくローズアップされるようになり、フェイクニュースやデマ、誹謗中傷の武器として扱われるようになります。

私がやったことと言えば、沖縄ではただただ、友人たちの安否を祈り、東京にいる子供が出来たばかりのご夫婦に水を送ったり、乾電池や当時ようやく低価格化が始まったLEDライトを送ったりという程度でした。

もう8年になるんですね。

2年前にもTwitterで書いたとおり、私が311で思い知ったのは、当事者ではない私たちは善意のデマでも嘘の情報は流してはならず、ただ無事を祈り、願い、暫くしたら現地の友人たちに物資やお金を送るぐらいしかできない、という事実でした。
私たちの殆どは指揮官でも政治家でも、まして自衛隊の士官や隊員でも警官でも消防官でもないのですから。