永六輔という人(前)

一昨日、7月7日は永六輔氏の命日だそうで。
永六輔と言えば、昭和50年代は沖縄に足繁く通っている時期があり(国際通りに沖縄ジアンジアンという小さな地下型のイベント施設があった頃です。劇場用アニメ『ウィンダリア』の予告と金田威功氏の『バース』の上映会もそこで行われました)、私も学校帰りのバスの中から国際通りを甚平姿で歩く姿を見たことがあります。
ラジオでは「誰かと何処かで」が夕方タクシーに乗ると必ず流れていた時代。
あの独特のしゃべり方と自ら「男おばさん」と呼ぶ感性の鋭い、でもどこかサバサバした視点からのトークは聞いていて一服の清涼剤でした。
あと「無名人名語録(というわりには収録されているのは名の通った人の言葉も多いんですが)」を筆頭としたエッセイ集の軽妙洒脱な語り口。


後に尺貫法制定の際にそれに反対して罰則規定を無効にしたりとか、小沢昭一氏と共に日本の「音」を録るべく、デンスケと呼ばれる小型のオープンリールテープの録音機材を担いで日本国中を飛び回って啖呵売などの貴重な「その当時はどこにでも聞こえたけれど、失われてしまうと二度と聞けないもの」を求めて走りまわっていたと知るのは後年のことです。
そして、何よりも当初は放送作家で作詞家で「上を向いて歩こう」「こんにちは赤ちゃん」などの作詞家でもあったと。
華麗なる転身というのは上手く行った後にその人を評しての話で、当人にとってはどういう理屈が自分の中にあったのか。
うちの父とおなじ2016年に亡くなってもう2年、死んだ時を一年と勘定しますから三回忌ということになりますか。
むしろ亡くなってからのほうが永六輔という人は存在感を増している気がします。
特に様々な意味で今、職業的選択を迫られている身としてはその時どうして永六輔という人は放送作家を止められたのか、作詞家を止められたのか、テレビ出演という最も大きな稼ぎを辞めることが出来たのか、その根源にあるのはなんなのかと思う事があります。(この項続く)