アメリカの作家はやってるそうですが

アメリカの作家がやってて子供の頃「へー」と思ったのが「口述筆記」というやつです。海外の映画やテレビを見ているると70年代まではよく、会社の社長が社長室をうろうろと歩き回りながら

「よし、書き出しはこうだ、あー『親愛なるマディ』ちがった『やあマディ、お元気ですか』……これも違うな、『拝啓、インディグレイド夫人。今回はいつものように楽しいお話ではありません、あなたの夫の解雇について私は話さねばならないのです。あなたの夫には大変満足していますが、我が社は現在大不況の中、社員の削減を求められており』……君、ちゃんと打ってるかね?」
とか言いつつ、傍らで秘書がタイプライターをカシャカシャ打ってるあれです。
確かそれを小説でやっている作家がいると聞いたのは「トワイライトゾーン」の膨大な脚本をほぼ一人でこなしたロッド・サーリングだったと思います。
彼は朝テープで思いつくままに脚本をテープレコーダーに(当時のことですからオープンリールでしょう)録音し、秘書に預け、昨日秘書に渡して文字に起こしたモノを推敲し、数時間後に出来上がったものを自分で添削、翌日の推敲に廻し、ということを繰り返して、あの傑作群をものにしていったという話を本で読んで「それは格好いい」と思いました。
日本だと太宰治が電話で、あるいは寝床に伏せったまま口述筆記をさせたという話が残っていますが、さすがに文豪ともなると「あの文章がそのまま口から流れてきて書き留めたものはそのまま原稿になった」という話で。

幸い私が「作家になりたい」と思う頃には我が家にもテープレコーダーはありましたからこれ幸い、とやってみたんですが……私には秘書がおらず、結果として、「もっとも聞いていて違和感のある自分の声を聞きながら文章を起こす」という苦痛をせねばならないということで断念しました(しかも当時は手書き原稿でしたし)。
あと意外に話芸の訓練を受けていない素人というものは、当人は普段の会話で達者だと思っていても、創作の文章とナルトつらつらと流れるように作り話を流せないものなんですね。「あー」とか「えー」とかになってしまう。特に地の文にこれが多くなる。
これも聞いてて「下手くそ!」と自分で自分を罵り、上手く行かない原因でした。
あと自分で思うほど文章というモノが緊張して脳に浮かばないというのにも呆れて結局放り出しました。

ところが時代は巡ると「音声入力」はいまやスマホに搭載されて当然の機能となり、その精度も大分上がってきたようです。少なくともSiriなどはウィットに富んだ(時には富みすぎる)会話を出来ることは有名です。

で、最近行き詰まると万年筆でコクヨの原稿用紙に書いてみたりしてましたが、音声入力で書いてみるのはどうだろうと思って、行き詰まった時はやるようにしています。あと疲れ切った中、作品の要点整理のメモなどを作る時には重宝します。

もっとも音声入力と言っても当人の発音の仕方、及び特殊単語までは引き継いでないので、入力した後、手直しは必要ですが。

不思議なことに人間、喋る時のほうが書くときよりも頭が回転し、文章的にも多い分量を脳から出力できるようで、たった1時間で分量だけは4時間机に座ったのと同じ文字が口から出てきます。
そのままでは使えないのでやはり手直しが必要なのですが、それでも何度か改稿することを考えれば「第ゼロ稿」としては充分です。
文章書きにとって下書きにあたる「最初の原稿」が出来ることが大変ですから。
出来ればひと頃の志茂田景樹先生のように一日二日で一冊、と行きたい所ですが(志茂田先生は最も本を出してらした時期、当時出たばかりのMP3レコーダーだったかテープレコーダーで朝昼晩違う作品を吹き込み、それぞれ担当の秘書にテープから文章を起こして、それをチェックし書き直していたそうで)、まあそれはともかく。
上手い具合に万年筆と原稿、キーボード入力、そして音声入力を使い分け、停滞する時間をなるべく短縮することで生産性を上げていきたいなあと思っております。