受け手と送り手、寛容と不寛容のお話

「伝説の作品」ってのがあります。あるいは「名作」とも。
映画で言えば私たちの世代で言えば「風と共に去りぬ」やチャップリンの映画を指してそう言いましたし、今は「2001年宇宙の旅」や「スターウォーズ」とかのSFも入りますね(2001年は昔からだぞ、というご意見もありますが……)

さて「名作」「伝説の作品」は基本、ヒットします(「素晴らしき哉、人生!」など公開当時はヒットしなくて後で名作認定受ける作品もあります)。

ヒットすると必ず「2」が作られ、それがまた上手い具合に当たるとシリーズになったりもします。
もとから長大な原作を切り分けて公開する「指輪物語」の映画化「ロード・オブ・ザ・リング」や「ハリーポッター」もありますし、「スターウォーズ」も「スタートレック」も根強い人気を誇り今も続編が生まれます。

日本のテレビアニメで言えば代表作はまず「機動戦士ガンダム」でしょう。

さて、そういう「伝説の作品」には、それが受け容れられる素地が社会にあって、作る人がいて、上手い具合に時流の流れや公開時期に競合作がないなどの条件が揃っての大ヒットとなります。

ちなみにSWにはそのわずか10年前に「スター・トレック」のテレビ版があり、制作直前には壮大なSF長編を原作に「デューン・砂の惑星」が巨匠・アンドレイ・ホドロフスキー監督でプロジェクトが進められていました。

「スター・トレック(宇宙大作戦)」はテレビという場所と60年代という「SFなんて子供の見るもの」という偏見が残っていた時代ゆえ、早々に打ち切りになり、ホドロフスキーの「デューン」はスタートレックと同じく当時は出資する側に理解者の数が足りず、また原作が長く、壮大すぎ、ホドロフスキーが望むモノが巨額の予算を必要としすぎるということでプロジェクトは停止。
結果、70年代もそろそろ終わりの頃、南部の田舎町出身の大学生が子供の頃夢中で見たSF活劇を当時の最新のセンスとテクノロジーで、そして最も単純なストーリーに乗せ、そこにそんなキャラクターを演じられる役者が揃い、同じこういうモノが大好きな若いスタッフが集まり、最後にアラン・ラッドJrやゲーリー・カーツという「こういう若者に未来を任せてみよう」という太っ腹なプロデューサーが揃った「スターウォーズ」は文字通りそれ以後の娯楽の世界を変えてしまいました。
こういうのを「天地人揃う」と言うそうです。
そういう作品はヒットした後人々の記憶の中で「魔法」をかけられます。
「楽しかった、凄かった」が記憶の中で熟成されやがて「永遠の1本」や「お気に入りのトップ3」とかに入っていく過程で。
さて、この「魔法」はとても厄介です。

特に続編を作ることになると。

フランスでリミュエール兄弟が初めて「汽車」や「工場」を上映したとき、人々はスクリーンの向こう側からやってくる列車を避けようと大騒ぎしました。
が、僅か十数年後、バスター・キートンがひょいとやってくる汽車の先頭に飛び乗ってやってきても人々はキートンの度胸と身体能力に感嘆の溜息をつきましたが、誰も汽車から逃げようとはしませんでした。

人は刺激に「慣れてしまう」ものです。

脳に直接働きかける麻薬でさえ、最初の使用体験以上の効果を得ることは出来ない、と言われています。

そんな「魔法」がかかっている。

厄介なのは「一度見てしまったものをふたたび完全再現しても、観客の喜びの度合いが下がる」ということです。
同じ様に撮影し、同じ役者を揃えても、それだけではダメ。
「驚き」が必要です。あるいはそれに勝る「心地よさ」。
つまり一作目と同じ「同じ魔法」の再現は不可能。

となれば、別の「魔法」をかけるしかない。
ホラー映画だった「エイリアン」の次が大バトルアクションの「2」になったように。

日本で言えば、ガンダムが好きなら種でもAGEでもファーストでもいいじゃないのかなーと思います。仮面ライダーや戦隊もそうです。

80年代までの間、オタクがSFファンの中に内包されてた時期「ガンダムはSFじゃない」とか「アニメファンはSFから出て行け」みたいな心ない言葉に憤慨してた身としては今、自分がそれを繰り返す立場にはなるまいよと思うわけでして。

「たかが映画じゃないか、オードリー」の精神で。

極論すると、全ての娯楽作品は当人に「合うか合わないか」でしかないんじゃないでしょうか。
駄作か傑作かは結局主観なので。
「私には合わなかった」
「私には面白かった」
ぐらいで考えたほうがいいんだろーなーと。
もちろん「これはどう考えても私には楽しめる方法が思いつかない」とか「私はこの作品に不愉快しか感じない」ものもありますけれども。
少なくとも楽しんでいる誰かの襟首を掴んで「君の好きな作品はクズだ、こっちを読みなさい(見なさい)」とかやるのは道理が違いますよね。

昔の作品だって全部傑作なわけではなく、傑作だから残るとも限らないし、そこら辺は自分の仕事じゃない間は楽しむスイッチでいこうとなるべく考えています。

ただのオタクの一人としては【娯楽に関して】は「今を楽しみ、なるべく否定しない」「自分とは違う価値観の人に質問はしても詰問はしない、思想矯正なんてもってのほか」が一番いいだろーなーと思う次第。

難しい話ではなく、もっとボンヤリと「どうにもわからないけど、自分に害があるわけでないし放置」でいいんじゃないかなーと。

正確には娯楽に関しては「自分に合うか合わないか」だけで考えるようにしてると「自分には良さは判らないけど現状、実害を及ぼすわけでないものは放っておく寛容さ」という大事なモノが維持出来て、最終的には自分の居場所も守れる一助にはなるのではないかなーと思うわけです。アラフィフのオタとして。

不寛容は間違いなく敵を作りますが、寛容がでは必ず味方を作るかどうかはともかく、少なくとも敵を増やさずにすむ効能があると思いますよーってことで。