そはよくぼーのまち

この前電子化したモデルガン雑誌「モデルガンチャレンジャー」から1983年頃の新宿、アメ横のモデルガン、軍装関係マップ。
「モデルガンチャレンジャー」は当時モデルガン業界最大手のMGCが迫り来る第一次BBガンブームに対抗すべく作った赤外線による射撃システム「シューター・ワン」の普及を目指すために作ったPR誌。
同時にBBガンを敵視する余り捏造記事などで叩かれましたが、「カスタムガン」を自分で作ろうというコーナーが充実してて、個人的には好きな雑誌でした。イチロー・ナガタさんやくろがね・ゆうさん、明日蘭さんなどを私が「発見」したのもこの雑誌でした。
当時はタクティカルモデルという概念はまだ殆どなく、レースガン、マッチガンと呼ばれる射撃競技用カスタムが格好良さのマトでしたね。
この頃「メカ趣味」としてオーディオやカメラと繋がっていて当たり前なので、カメラ屋さんやレコードショップ、そして喫茶店や食べ物屋さんも入っているのは時代(※当時の東京の外食事情は今より大分悪かったと聞いています)。
今の目から見ると、記事の語調がちょっと上から目線で馴れ馴れしく感じてしまうのはご愛敬。そして当時は当たり前の語尾や単語が「死語」になっている事実に愕然としてしまいます(笑)
当時、「いつか東京に行ってモデルガンを買うんだ!」と、こういう記事を見て燃え上がっていた中学生でございました。
後に東京に自分の金で行けるようになってギリギリ、アメ横のMGC上野店(閉店廃業2年前)とマルゴーには数回行けましたが、今や両社ともになく。諸行無常であります(マルゴーは現在元店員さんたちがTAKE FIVEという店名で再出発してる総出)。
83年当時、沖縄でまっとうにモデルガン関係が買えたのはコザの一本堂ぐらいで、他は模型屋さんがたまに仕入れるか(それも大抵はマルシン、マルイ、LSの作るモデルガンで組み立て済みは滅多にありませんでした)、「本土から仕入れるから送料がかかるんだよ」と定価に1500円~2000円上乗せした値段で売るアコギなお店があるぐらいで。そこも結局私が社会人になるころには閉店して、歯医者になり古本屋になり、花屋になり、向かいに会ったダイエー(当初はダイナハという名前でした)は紆余曲折あって今はジュンク堂沖縄店となりました。
そして業界最古参の「GUN」誌も出版社の不渡りで二誌に分裂してまた一誌に戻り、コンバットマガジンは軍装品に大きく舵を切り、最も若いホビージャパンのアームズマガジンも20年以上の風格を持つようになりました。
時は流れますね。