健康な生活とか肉体とか

基本、頑健な人というのは、よほど思慮深い人でない限り、病弱な人がどれくらい弱くて、状態がキツイかを理解しづらいものなんだろうなあ、と思います。

私の父も若い頃からスポーツマンで草野球のピッチャーまでやってたような人でしたからガリゴリの体育系。「気が緩むから病気するんだ」が口癖のような人でした。
母や大叔父はがんで亡くなりましたが、多分「病気」の中にがんなどの当時において致命的ものは入っていないという分け方をしていたんでしょう。
その母を亡くすまでは、私が小児喘息で喘いでいても「どうした?」とくわえ煙草でやってくるような所があり(この悪癖というか無神経さは晩年まで治りませんでしたが)、また情報が少ない時代でしたから「薬に頼って楽になると身体が甘えてしまい、弱くなる」という謎の考えでもって喘息の薬(ステロイド系)を出すような病院に行かせず、昔ながらの風邪薬、咳止めの粉薬を出すような病院にしか行かせませんでした。
さすがに母が大病して亡くなり、中学を卒業してもなお喘息に悩まされるのを見て、少し考えを改めたのか、高校になったらちゃんとした喘息治療薬を使う病院に行かせてくれましたが。
父に限らず、学校の教師や街行く人たちもメタボだのなんだのが遠い時代で、沖縄という土地自体が田舎の体育会系社会ですから「煙草は一日ひと箱、酒は底なし、昼飯はカツ丼」が男らしいということで、「煙草も吸わない、酒も飲まない」という人間に対しては「変人」という扱いになっておりました。
体育教師たちは、「身体は痛めつけるほど強くなる」と考え、部活中の水分補給は「甘え」どころか「サボり」と見なされました。
精神論、根性論が大手を振って歩いていた時代で、甲子園で肩を壊してしまったピッチャーとそれを命じ続けた監督を英雄としてまとめて奉りあげてしまうことが普通でした。

私が痔瘻という病気で初めて入院、手術をするハメになったのは、高校卒業直後の春先ですが、父は母の看病を思い出すのか、さっさと帰ってしまい、不安な思いで手術の朝を迎えたのを覚えています。

父が出稼ぎ先の名古屋で倒れたのは十数年後、60近くになってから。
沖縄からドタバタと駆けつけた私に、初めて父は「あの時さっさと帰ってすまない、一人で病院のベッドの上にいるのがこんなに怖いとは思わなかった」と謝りました。
さらに後年、心筋梗塞で入院し、ステント三本と弁膜の取り替えと白内障の手術までしたわけですが、その頃の父はちょっとした身体の具合が悪い、という知り合いに「とにかく病院に行きなさい」というようになっていました……そのくせ自分は「明日病院に行くからいい」といってやっぱり病院から逃げ回ろうとしてましたけれども。

恐らく病院に行けば煙草と酒をこっそりやってることがすぐにバレ、お医者さんや看護師さんたちに叱られるので、それがいやだったんでしょう。
どちらも辞めるという選択肢は最後までない人でした。

人間は経済状態の心配はしても、健康の心配をシリアスにする機会というのは、それこそ命の問題にいきつくまではなく、まして人より秀でた身体能力を持っていたりすればそうじゃない人は皆「バカ」に見えることもあるでしょう。

実際、私も十年近く前、60キロ近いダイエットに成功したとき「どうしてもダイエットできない」という人たちが「甘え」ているように見えたことがあります……天罰が下ったのかその後見事にリバウンドして今は着実なダイエットのためのアレコレに苦しんでいて、自分が如何に傲慢だったかが判りますが。

自分に出来ることが出来ない人は、何故それが出来ないのだろうと想像することもまた、大事な事だよなあと思います。