リラム販促用短篇その1「献立と来訪者」

三つの海を分ける大海障{大海障:バルバドン}唯一の抜け道の先にある南の圏{圏:エスティズ}、ロキオルスは短い春の季節を迎えていた。
首都、リューシュの外れにある森の中、小さな、しかし位主{位主:ルヴァー}の一族が本来使うための豪奢な館の一室で、美しい影が机に向かって書き物をしていた。
窓は大きく開け放たれていて、青い空の下、吹き抜ける風が窓に掛かった、光を遮るための紗を優雅に波打たせながら涼しさを流しこんでいた。
その机の上に、小さな装置がある。
掌に載ってしまいそうなその球状をした機械――――びっしりとあらゆる数字と記号が刻まれたその小さな球体は、この世界における特殊な技術によって持ち主として登録された人間の損得を計算し続ける。
最初に、そしてことが始まってからも随時入力していく数字さえ間違えなければ、それは不確定要素を考慮しなければ、大抵において正しい――――低く見積もっても七割の確率で――――結論を導き出すはずだ。
神の居ないこの世界で全てを決定する、その指針がこの計算球{計算球:レドゥラ}だ。
「さて、どうしたものかな」
羽根筆を停め、美しい影は顎に手を当てた。
21,2歳。中性的な美貌ながら、意志の強い目の輝きが「漢」を感じさせる。
ゆったりとした衣類はこのロキオルスのものではなく、大海障を抜けた先、ヒウモトという名で知られる、特殊な戦士の一族が支配する「圏{圏:エスティズ}」のものを彼なりにこの「圏」にある布地で再現したものだ。
「明日来る姫様の献立なのだが、食麺麭{食麺麭:フォナム}の生地に何か柔らかい木の実を砕いたやつか、乾果物を細かく切ったやつでも入れるか、それとも無地のものにするか、ちと迷ってる。バウサン、どっちがいい?」
ちら、と切れ長の目が彼の背後、正確に言えばこの部屋の窓側の壁の隅、紗が翻っているその陰をみつめた。
「いやだなあ、ご存知でしたか。一刻も黙ってるとはお人が悪い」
そういう暢気な声がして、青年とも中年とも付かぬ古貴人族{古貴人族:エルフ}の男が、のっそりと姿を現した。
巧みな隠形の技で、気配を隠し、視界に入らないようにしていたのである。
「てっきり今度こそ上手くお命を頂けるかと思ってたんですが」
「簡単に取られては困る」
「ちぇっ、レイロウ様にはかなわねえ」
「で、どう思う?」
レイロウと呼ばれた青年は、机の上で書きかけになった品書きをバウサンと呼んだ男に見せた。
手に持っていた短刀を腰の後ろの鞘に収め、薄く無精髭の生えた顎に手を当て、バウサンはもっともらしい顔でその品書きをのぞき込む。
「そうですねえ。山赤鶏{山赤鶏:レッカン}の卵と胸肉を燻製にしたものと、香辛料をたっぷりきかせた土梅牛{土梅牛:バンザ}の尻尾のスープ……これなら食麺麭{食麺麭:フォナム}に何か入れるより、塗った方がいいんじゃないですかね」
「では卵の白身に香料を少し入れて……いや、入れない方がいいな、照りと食感だけでいいか」
品書きを自分に向け直し、長い脚を組んで考えはじめたレイロウの喉へ、手首の飾りから小さな針を音もなく取りだしたバウサンの腕がするりと動いて……停まった。
「何をしている」
その背後、脊髄の上に鋭い長剣の切っ先が微かに触れている。鋭く磨がれた先端はそのまま持ち主が一歩前に進めばバウサンの延髄を切断するだろう。
「いえ、な、なにも……」
バウサンは引きつった笑顔を浮かべ、ゆっくりと、相手を刺激しないように後ろを向いた。
そこには長身で豊満な胸以外は引き締まった体つきの、彼とは違う戦に長けた戦古貴人族の女性が侍女服を纏って立っていた。
「失せろ」
じろりとしなやかな獣の様な美貌が命じると、バウサンはひと息に窓の外へ跳躍して消えた。
「ご主人様、御酔狂が過ぎます。暗殺者を殺すどころか『隙があればいつでも殺せ』とは」
そう言いながら長身の戦古貴人族の美女は長めの首に填められた首輪の後ろ、鞘代わりの鉄輪に剣を納めた。
「まあ、そう言うなリンザ。お陰で明日のお姫様への献立が出来た」
にっこりと、レイロウは微笑む。
「それに、僕の背中はお前が守ってくれる」
それだけで、リンザと呼ばれた侍女は顔をほのかに赤く染めた。(終劇)