リラム~密偵の無輪者~発売記念短篇「北方の訪問者」その7(完結)

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「ああでも素晴らしいよ、こんなに心が浮き立つのは生まれて初めてだ! きっと世の中にはもっと楽しいことが一杯あるんだろうなあ。お前は世の中を旅しているのか?」
不意にレイロウに言われ、「なにか」は少し首を傾げた。
「そでしね」と立て札が掲げられる「しょうしょうならよのなかをみておりまし」と。
「広いだろうな、世界は」
少年は遠い目をした。
「僕はヒウモトの小さな城下町の娼館で育った。小さいけど、温かくて、優しい場所だった…………でも七歳の時に、お前は将位主の息子のひとりだと言われてそこを後にした……あとで訊いたら、その年の冬に火事を出して焼け落ちたってさ……そこを出ていらい、あちこちを流れてきたけど、『遠い』と感じても『広い』と思ったことは滅多にない。
だが、この北方辺境まで来てようやくそう思った……そしたら、彼女に出会った」
どうやら少年は本当にその「北方辺境の魔女」に心を奪われたらしい。
それからは酔っ払いの常で、レイロウの言葉はぐるぐると同じ言葉にたどり着く。
「僕は彼女に惚れた」
「絶対に彼女を僕の伴侶にする」
「そのためにはどんな手段だって使う」
「彼女を僕のものにできるなら、彼女に生涯恨まれても構わない」
この言葉が10分から数分で繰り返される。
これが成人男子であれば、その美しさも相まって空恐ろしい意味になるのだが、僅か14歳の少年が酒精の力を借りて満面笑みを浮かべてコロコロと笑いながら言うのだから、微笑ましいと言えば微笑ましい。
だが、「なにか」は「しゅだんわえらばねばだめでしよ」とか「うらみつらみにあいはないでしよ」とか言わないでもよいような言葉を立て札に書いて掲げる。
これもまた、言葉が発せられていたら一騒動になったかもしれないが、ぐでんぐでんの酔っ払いが文字の読めるはずがない。
そんなわけで、少年は自分の生まれて初めての恋心をのろけ、「なにか」はひたすらそれをたしなめて正しい形の情愛を薦めるという、なんとも微笑ましいままの状況が続き、ついに少年の体力が酒精に負けた。
「とにかく、かのじょは……きれ……」
い、と言い終える前に敷物の上に突っ伏して少年は寝息を立て始めた。
すでに大の男でも半分飲み干せば倒れるといわれた火酒の瓶は、3本も空になっている
「なにか」はしばらく首を傾げて少年の姿を見ていたが、やがて立ち上がり、とことこと部屋の中を歩いて、最初にかけてやった毛布を少年の身体にしっかりとかぶせ、さらにすでにパリパリに乾いた汗ふきを、土間にある井戸(これは高位者用宿泊施設ならではの贅沢であった)から汲んだ水で濡らし、暖炉の鍋にも水を満たして火にかけると、暖炉の薪を奇妙な形に組み上げた。
不思議な形に組み上げた薪は燃える側から崩れ、朝までこの暖炉の火を絶やさないように、しかし燃えすぎないように自然に炎の中に倒れ込む。
「なにか」は再び頭からすっぽりとぼろ布を纏うと部屋の周囲をゆっくりと見回した。
ややあって、少年が寝ている広間の奥に何か気配を感知して「なにか」はトコトコとと歩いていった。
最初にレイロウが「なにか」を見つけた場所。
その机の上に、小さな「歪み」ができている。
ある角度から見たときだけ、その周辺だけ風景がぐにゃりと歪んで見えるのだ。
「なにか」は、恐れることもなく、椅子のうえに「よっこいしょ」とのぼり、壁越しにレイロウの方をみやってぺこりと頭を下げると、ひょいとその「歪み」の中心へ飛びこんだ。
「なにか」のまとったぼろ布の裾から覗いていた尻尾の先までその「歪み」の中に、まるで水の中に入るようにつるりと飲み込まれると、「歪み」は消えた。
後にはレイロウのみが残され、寝息を立てている

レイロウが目を醒ますのはこの日の夕暮れ、酷い二日酔いに三日間悩まされ、また家臣の中でも一番の忠義物のタグロという青年から「若にお酒は早すぎます」というお小言も頂戴し続けた。

以後彼は決して一日二杯以上の酒を飲まず、それはのちにヒウモトの最大の権威である皇位主の暗殺を計画したとして国を追われて転がり込んだ、火酒の国、ロキオルスにおいても変わらなかった。

「何しろ、変な物とずっと会話してたんだ」

数年後、二十歳をとうに越えたレイロウは彼の傍らにいることになった「北方辺境の魔女」こと、リンザに言った。
「赤ん坊のような、丸い目だけで鼻も口も無い、でも妙に愛嬌のあるそうだな……子供のおもちゃみたいなのと。だから酒はやっぱり過ぎれば毒だと思う」
と。
彼は生涯、自分が見たものを「酒精の見せた幻」だと信じて疑わなかった。

 

さて、あの時「歪み」の中に飛びこんだ「なにか」はといえば……


飛びこんだ瞬間、「なにか」はどたばたと今度は金属で出来た廊下の上に転がり込んだ。
きょろきょろと周囲を見回す。
「なにか」のセンサーは周囲を見回し、ここが彼の目指すべき場所と、また違ったことに気がついて落胆した。
ここは宇宙船、あるいはそれに似た乗り物の中であり、動力源は「なにか」のいるべき場所には存在し得ないとされる物質だったからである。
通路の上に腰を下ろし、短い足を投げ出して、溜息をつくようにうなだれる「なにか」の上に影が差した。
慌てて「なにか」はぼろ布で頭を覆う。
甲高いセンサーの音がして、青い光が彼を照らし出した。
「ほう、アシストロイドの客とは珍しい。キャーティアはとっくに滅んだと思っていたが……いや、君は多次元宇宙からきたのか?」
「なにか」は顔をあげてその人物を見た。
背の高い、片眼鏡をかけ、唾の大きな帽子をかぶって身体にぴっちりしたコートを身に纏った少女だ。
「ということは迷い人だな?…………随分たくさんの世界を回ってきたのだね。元の世界の番号が読み取れないぞ…………? まあ、よかろう」
少女は立ち上がると腰に手をあててふんぞり返った。
「この『ロスティニア』は君を歓迎する。君の次元番号が判るまでここにいるがいい」
そう言って、少女は微笑んだ。
「ちょうどこの船は乗員がいないのでな、たまに修理とかも手伝ってくれると嬉しい。ついでに言えばドーナッツが作れるともっと有り難い」
こっくりと「なにか」はうなずいたが「しかし、わりらはほんらいのあるじにおつかえするもの、どうかあしすとろいどのなまえでよぶのはごかんべんを」と立て札…………プラカードを掲げて頼むと、少女は頷いた。
「ではそうだな、修理もしてくれるというのであれば『をやかた』というのはどうだろう? そうそう、名乗るのが遅れた、私の名はパーシィ。見ての通りの時空調停者だ」
そういって少女は満面の笑みを浮かべて「なにか」あらため「をやかた」の手を取って握手した。

 

「北方の訪問者」おしまい