お金が無いのは首が無いのと同じ

と昔の人はよく言います。

最近父を看取ったせいもあるかもしれませんが、最後の十数年を一緒に過ごした身としては、お金があればそりゃ最後は国に取られるかも知れないけど持っておくよね、というのが実感です。

父は酒も煙草も飲み放題のやりほうだいで50代の終わりあたりから「どうせあと2,3年ですぐ死ぬよ、好きなようにさせてくれ」が口癖でしたが、結局それから30年近く生きました。
家族としては色々な幸運が重なって(中でも大きかったのはあそびにいくヨ!という作品を読者の皆さんが愛してくださったお陰で作家で人並みの収入が得られるようになったことです)最後まで看取ることができました。

しみじみ今思うのは実は死ぬ事よりも怖いのは「うっかり中途半端な健康状態で(あるいは悪い健康状態で)生き延びてしまうこと」じゃなかろうかと。

比較的健康な人でも、歳をとると、まず病院に行くようになります。
毎月、数万円かかることも。さらに病院へ行くための交通費も。

足腰にガタが来て台所に立つのが辛くなれば給食サービス、あるいは外食、ということになります、これもまた数万円でていきます。

そうなると今度は階段の上り下りがつらくなりますから一階に、あるいはエレベーターの付いた物件に、それでも辛くなってくれば、老人ホームに入ることになります。

これで寝たきりになればおむつ代だのなんだのでさらに上積みがされる。

では、面倒を自分で、自宅で見るか? となればこれはもう介護自殺者が出るぐらいキツい。

ついでに言えば親にとって子供は永遠に子供ですが、子供は子供ではいられません。社会に出て働けばそれなりの自分の生活リズムが出来ますし仕事の都合もあります。

そしてどんなに出来た親でも自分のリズムで生きている以上不都合が生じるのは避けられません。

そして親の都合に合わせなければいけないというのは、時にかなりのストレスです。

また結婚していたとしても、自分の親の負担を血の繋がらないパートナーに求めて良いのか、は疑問です。少なくとも当然ではないでしょう。

となれば老人ホーム特別養護施設はこれから「当然の選択肢」になります。

ですがそれは「自分のやるべきことを他人にお金を払って代行して貰う」ことです、つまり最終的な責任は自分にありお金も自分が支払う。

六畳一間でも一ヶ月暮らせば食費光熱費込みでどんなに安くても8万ぐらいはかかるものです(沖縄・2016年現在)。毎月の費用が安いところは、入居料金に目の玉が飛び出るような金額を請求されます(私が見た最高額は六千万でした)。さらにこの中におむつ代などは含まれません。
生活保護と年金を組み合わせれば、と思う人もいるでしょうが、年金は「収入」なので生活保護からしっかり差し引かれます(これは市役所の窓口で確かめました)。国民年金に加えて企業年金などで毎月の収入が、生活保護の金額を上回る場合、生活保護は受けられません。1円でも。

そして、生活の質を下げるというのは非常に難しい。まして老人です。

私もこの十数年、見えるお金、見えないお金を大分支払いました。
父もまた、最初は母、次に祖母の最後を看取るためにこれ以上のお金を支払っているはずです。

さて、父には私がいましたが、結婚もしてないし子供もいない私には、私がおりません。

偉い人がいうように、お金がある人は老後にお金を使って趣味をするのもいいし、見つけるべきだろうなあと思ういますが、それがない人は老後どうすればいいのやら。

もしも自分が働けなくなって老後を迎えたら、と考えると途方に暮れます。

生活保護に頼って生きている人がそれをやれば「生活保護のくせに」と叩かれるご時世、人間らしく生きるってのはなんなんでしょうね。

とりあえず、それはそれとしてお仕事をしましょう。

それ以外今の所出来ることはないので。