恰好イイ爺さんの小説はいかが?

バルーク(バック)・シャッツ。元テネシー州・メンフィスの刑事。
かつて第二次大戦に従軍し、ノルマンディーの地獄をくぐり抜け、帰国して古き良き、と言えば聞こえはいいが、警官が暴力を振るうのは当たり前の時代を357マグナム片手に生きた男。
「違う、ダーティ・ハリーのモデルは俺じゃない、ドン・シーゲルから一度だけ電話があった、それだけだ」
そんな男も刑事を引退して87才になった。
寡黙で、頑固で、時に強面なのは変わらないが、最後の部分はあまり出さない。
息子は不幸な事件によって失ったが、その意志を継いだ弁護士志望の孫が居る。
ハイテクはしらない、判らない。そういうのは若いのの仕事だと割り切っている。
怖い物無しの頑固者で皮肉屋、唯一素直に従わざるを得ないのは軍隊時代に惚れ抜いて結婚した妻だけ。

そんな男の元に、かつての軍隊時代の仲間から「頼むから告白を聞いてくれ」という話が舞い込んでくる。

仲間だったがクズ野郎で、大嫌いだが愛妻の言葉に逆らえず、バック・シャッツは病院に向かう。

すでに息も絶え絶えの元戦友は、「お前に告白したいんだ、『奴』はまだ生きている」と告げた。

第二次世界大戦、捕虜になったバックをさんざんいたぶり、意識不明になるほどの重傷を負わせた捕虜収容所の所長で親衛隊員の男が、今もどこかに生きている。

かつてヨーロッパの果てまでそいつを追いかけたこともあったが、80才を終えようとしている今、そんなことに何の意味がある? 毒づいたシャッツだったが、そのナチの所長は死んだとされた日付の後、「車のサスペンションが沈み込むほど」の金塊を持って逃げたはずだと元戦友は告げた……

という導入で始まるのがダニエル・フリードマンのバック・シャッツシリーズ1作目『もう年はとれない』(創元推理文庫)。

単なる「ジジィだけどスーパーマン」ではなく、肉体はボロボロ、記憶もあやふやになってくるのでアルツハイマーに怯え、でも反骨精神と人生経験から来る怜悧な頭脳は失っていないし、残り少ないと判っていながら「今後」のことに不安を抱え、欲ではなく「必要だから」金を欲する部分もある。でも卑屈には「なれない」。

翻訳の人が後書きで書くとおり「グラン・トリノ」のイーストウッドに「ダーティ・ハリー」の頃の乾いたユーモアを増量したような感じ、と言えば一番判りやすいでしょうか。
「どうして人は私に秘密を打ち上げたがるのだろう、私はそんなものにかかわりたくないというのに」
とひとりごちながら、ラッキーストライクをくわえ、すっかり重すぎると感じながらも愛用の357マグナムをショルダーホルスターに吊して「自分の中にある厄介ごとの影」を払いのけるために再び動き出すのがこの1作目。
そして黒人の民権運動が激化した50年代末、逮捕の瞬間まで追い詰めながら「ある事情」で見逃すしかなかった「プロ」の強盗が再び現れ「俺は48時間以内に死ぬ、復讐してくれ」と言い出します。
「どうやら、知りあいという知りあいはみんな、私をわずらわせずには死ねないらしい」
という幕開けなのが2作目「もう過去はいらない」


関わりたくない、というシャッツに対して「食えない性分は歳をとったからと言って衰えたりはしないよ、こりかたまって、もっと過激になるだけだ、そしておれには食えない味方が必要なんだ」と総入れ歯で笑いかける75才の「怪盗」イライジャがまた魅力的。アウシュビッツ以上の地獄から帰ってきたこの人物もシャッツ以上に「食えない」人物で、物語は過去(50年代)と現在(09年)を行き来しながら何があって、何が起こりつつあるのか、という謎解きをしていきます。
2作目ではシャッツの息子に何があったのか、シャッツの人生観に最も強い影響を与えた父母はどういう人物だったのかを明らかにしつつ、孫のテキーラとの掛け合いが増量されていて、また楽しいです。
どうも映画化も決まっているらしいですが、誰がバックを演じるのか楽しみです。
まさかイーストッドではないと思いますが……。